NHK連続テレビ小説「まんぷく」
毎朝、鈴や萬平に笑わされる15分♪
でも、一難去ってまた一難・・・状態ですよね!
#まんぷく
良いものを考え作る人…その人を支える事。
それは寄り添うだけでは無く先々の会社として成り立って行く為の[経営]を考える人が必要。
でもそれを全て福子ちゃんがこなしていたら福子ちゃんも潰れてしまう。
何処かに良き人材は居ないかしら…🤔
(世良ちゃんはあてにしないっ!!!) pic.twitter.com/3K0SKuve1x— さんぽのおとも (@acoyocco) 2018年11月14日
それでも、萬平を信じて支え続ける福子・・・本当は、辛いことも多いはず!
そんな福子ですが、第8週で長男・立花源が誕生するという嬉しい出来事もあります♪そして、第13週では長女も誕生する予定です!
今回は、福子の長女・幸の誕生について調べるとともに子役は誰なのか、実在モデルの安藤明美さんはどんな人物なのか詳しく紹介します♪
〜もくじ〜
長女・幸が生まれることについて
より多くの栄養失調の人々を救うためにも、萬平はダネイホン事業に専念することを決断し社名を「たちばな塩業」から「たちばな栄養食品」に変更します。
萬平は昭和22年(1947年)の暮れに全国展開の第一歩として、真一・世良と一緒に東京へ向かいます。東京には真一が営業本部長として出向することになり、神部と、堺ら5人の若手社員が一緒に行くことになりました。
栄養失調に苦しむ人々が手軽にダネイホンを購入できるよう、町の総菜店や米穀店でも販売することになり、ダネイホンは売上を伸ばしていました。
3ヶ月が経過したころ、ダネイホンの偽物「ダネイボン」が出回るように・・・。同じことが起きないよう、萬平はダネイホンを購入してくれている京泉大学病院からの、推薦商品であることを載せる許可をもらおうと上京します。
東京に向かう前に萬平は、福子から「2人目の妊娠」を打ち明けられ上機嫌でした。
しかし、所得税法違反の容疑で萬平が進駐軍に逮捕されます。萬平は起訴され軍事裁判にかけられ「重労働4年、罰金7万円」という有罪判決が下されました。
7万円という大金の罰金をどう工面するか、福子は萬平の意見を聞くために、妊娠中の身重な身体で東京の刑務所に向かいます。
萬平は、資産整理に詳しい弁護士を探すよう頼みました。福子はお腹の子どもが生まれた時に、お父さんに抱っこしてもらいたいと話します。
福子たちが、弁護士の東太一を訪ねると「国税犯則取締法」が厳しくなったので、それを知らしめるために有名人の萬平が目を付けられ、過剰に重い刑を課せられたのではないかと言うのです。
東京の子会社とダネイホンを販売する権利を一緒に売り、萬平は無事に罰金7万円を支払うことができました。
しかし、東京財務局から「脱税分に追徴課税して、課税額は10万円にする」と言われます。そのため、泉大津の会社や工場が差し押さえられないよう、たちばな栄養食品は解散しました。
萬平は、ダネイホンの商標と製造方法を売却して会社を畳めば、ダネイホンという商品は生き残り、萬平は多額の金を手に入れられるため、それを資金に新しい事業を始めることも出来ると提案されていました。
その後ダネイホンの商標と製造方法は、「北浜食品」という会社に12万円で売却。社員たちの再就職先は確保されました。
昭和24(1949)年、福子・鈴・源は、香田家でお世話になります。萬平に面会するため、臨月を迎えたお腹で東と大阪と東京の行き来をする福子。
その後、福子は予定日よりも4日早く、女の子を出産しました。
その頃、東は萬平の逮捕は「不当逮捕」だったことを突き止めました。進駐軍は東に訴えを取り下げれば、萬平を釈放すると知らせてきます。
萬平は「あの金は泉大津で塩を作って、ダネイホンを作ったみんなの汗の結晶なんです」と応じようとしません。
東から萬平の意思を聞いた福子は、生後2か月の幸を連れて、萬平に面会するため上京しました。
萬平に幸の顔を見せ、「もう終わったことは忘れましょう、これから先のことを考えて下さい」と福子は語りかけます。
福子が幸の小さな手を触れさせると、萬平は訴えを取り下げる決心をしました。その後、無事に釈放され、福子や子どもたちと暮せるようになったのです。
長女・幸が生まれるとき、萬平はいなかったんだね!心細かっただろうなぁ・・・。
そう思うと福子は強いというか、どんどん強くなっているというか!これからは、源と幸が福子の力となってほしいね♪
名前の由来
「立花幸(さち)」♪萬平が、女の子ならばと決めていた名前です!
福子の「福」と「幸」を並べると「幸福」となることから付けられました。
プチ情報♪
長男の時は、萬平と鈴で意見が分かれました(笑)
萬平は、日本の偉大な発明家・平賀源内から取って「源内」、鈴はご先祖だという源義経からとって「義経」がいいと言い、二人とも譲りません・・・。
そこで福子が平賀源内の「ゲン」と、源義経の「ゲン」で、「源」はどうかと提案し、無事に「立花源」と名前が決まりました。
萬平が「幸」って付けた由来を知った時、やるじゃん!ってテンションがあがった私(笑)素敵な由来ですよね♪
由来通りに、福子と幸には幸せになってもらいたいです!
子役は誰?
赤ちゃん源ちゃんも可愛かったけど、幸ちゃんもかわいい! #まんぷく pic.twitter.com/LuA1Aqcw4c
— ひぞっこ (@musicapiccolino) 2018年12月24日
幸は生まれてから、大きくなるまでが速かったですね!
【追記】8年後!昭和32年(1957)・・・
大きゅうなったわ
そして、普通にサラリーマンみたいに萬平さん帰ってきた!
燕尾服…バッタみたいby源
ペンギンみたいby幸#まんぷく反省会 #まんぷく pic.twitter.com/eubCt9Fp9Q— オニヘイ55 (@imakichi55) 2019年1月7日
名前:三宅 希空(みやけのあ)
生年月日:2009年3月20日
所属:ジョビィキッズ
まだ詳しい情報がありませんでした・・・。
出演作は?
【映画】
「きみはいい子」 水木あやね役
「羊の木」 女の子1役
「サムライエッグ」 女の子B役
【ドラマ】
「確証〜警視庁捜査3課」(TBS)
「お兄ちゃん、ガチャ」(NTV) 雫石カコ役レギュラー
「プレミアムドラマ 男の操」(NHK BSプレミアム) 珠美役
「正義のセ」第9話(NTV) マイコ役
【CM】
「サントリー BOSS贅沢微糖」
「ダイハツ タント」
「ライオン バファリン/『TIME IN A BOX 私らしく バレエ』篇」
「三浦工業『あいくんは想う』編」
【TV】
「痛快TVスカッとジャパン 〜天使の一言スカッと〜/痛いの痛いのとんでいけ」
これから活躍して、情報も公開されていくかもしれませんね!
実在モデルの安藤朋美について

安藤仁子さんの長女・安藤明美さんは、1949年(昭和24年)1月26日に大阪府池田市で誕生しました。生まれた当時は、父・安藤百福さんが脱税容疑(冤罪)で巣鴨の獄舎に収容されていました。
安藤明美さんが1歳になった時に、百福さんは釈放され団欒の日々が戻ってきます。しかし安藤明美さんは、生まれた時から不在だった百福さんにはなかなか馴染めませんでした。
その後、百福さんが関わった信用組合の倒産もあり生活が安定しない時期が続きました。安藤明美さんが小学校3年生の頃、百福さんが再起を期して着手したのが即席麺の開発です。
この作業は家族総出でも追いつかず、親戚中の人が駆り出されて作業小屋は戦場のようになっていました。安藤明美さんは、兄の宏基さんとともに喜んで手伝います。
※安藤明美さんは、麺を入れた袋を足踏み式のシーラーで閉じる役目でしたが、電熱部に足が触れてよく火傷をしていました。
足踏み式のシーラーはこんな感じ!?
【足踏み式シーラー】ペダルを踏み込むだけで強力なシーリングができます。タイマーで加熱時間を設定し、袋をシール部にセットします。タイマーの加熱時間は包材の種類・厚みなどにより異なります。 pic.twitter.com/fbRpQiFPnf
— マイナー工具Bot (@kougu_bot) 2018年8月7日
慌ただしい毎日ですが、日曜日の朝になると安藤明美さんは兄・宏基さんとともに百福さんと、愛犬の散歩がてら近くの山へ出かけました。楽しみは、散歩の後のクリームソーダを飲むことです。
プチ情報♪
実はこのクリームソーダの店!歌手・女優となる「いしだあゆみ」さんの実家でした。宏基さんが「いしだあゆみ」さんと小学校の同級生だったことから、安藤家とは親しかったようです。
父・百福さんと海外視察へ
1966年(昭和41年)になると、即席麺の事業は軌道にのり、作業小屋は工場になり、生産量が増大してその工場も大きくなっていました。
この頃、百福さんは事業のターゲットを海外に向け始めます。何度も渡米し即席麺を世界に普及させるための「ヒント」を探りました。
海外視察に行くときは、安藤明美さんも同行します。百福さんは、安藤明美さんを可愛がっており、高校生になってからも手をつないで歩いていました。周りからは「友達みたい」と茶化されることも・・・。
安藤明美さんが大学1年生の時、アメリカに同行したのですが帰りの便で、百福さんは思いがけない発見をしました。
この頃、百福さんはカップヌードルの蓋をどうするか悩んでいました。
蓋に採用したのは、アルミキャップ!ヒントになったのが、直径4.5センチ、厚さ2センチほどの機内で貰ったマカダミアナッツの容器です。容器には、紙とアルミ箔を貼り合わせた上蓋がついていました。長期保存が出来るよう、空気を通さない素材を探していた百福さんは、研究をします!
※マカデミアナッツの容器は、現在も記念に保存してあります。
機内で出されたマカデミアナッツの容器から、熱蒸着という技術を知りました。帰国して研究を重ね、ついに蓋が完成。カップヌードルを世に送り出すことができたのです。
恋のキューピット!?
神戸女学院の学長から母・安藤仁子さんに、学園祭への招待がありました。
安藤明美さんは、安藤宏基さんの嫁候補を紹介したいと言われますが、行き違いから当人と会うことは出来ませんでした。
落胆した百福さんたちですが、帰りがけにふとしたことから学園祭に来ていた甲南女子大学の学生と知り合うことになります。
この学生が安藤明美さんの同級生であったことから、とんとん拍子に婚姻話が進み1976年(昭和51年)、安藤宏基さんはこの女性「荒巻淑子さん」と結ばれることになりました。
実は、母・仁子さんの勘違いもありました!
安藤明美さんは大阪学芸大附属中学校から、編入試験を受けて甲南女子高校に入学しました。しかし、これは安藤仁子のさんの勘違いから始まります。
安藤明美さんが受験する予定だったのは、大阪府立北野高校でした。試験の当日、受験票が見つからず安藤明美さんは途方に暮れ泣き出してしまいます。
母・仁子さんが、間違って願書を違う学校に送ったことが判明。送り先が、神戸市の甲南女子高校だったのです。担任の先生も巻き込み、揉めましたが当初予定の北野高校へは入れませんでした。
しかし安藤明美さんは、甲南女子高校に無事入学。その後は甲南女子大学に入学し、宏基さんと淑子さんの出会いに繋がりました。
結婚相手
「再婚の人と結婚しないでね」。仁子さん、祖母・須磨さんも結婚相手は再婚で苦労したため、娘にだけは同じ目に合わせたくないという親心でした。
安藤明美さんは、知り合いの紹介で初婚の男性「堀之内徹(現在の日清ホールディングス監査役)」とお見合いをします。
堀之内徹さんは長身で礼儀正しい好青年で、百福さんたちは惚れ込みました。安藤明美さん自身も、好意を抱いていたので交際が始まりました。
しかし、堀之内徹さんが興した会社の経営状況が芳しくなく、しばらく待ってほしいという連絡が・・・。破談も覚悟していた5年後、落ち着いたので結婚することが出来ました。
最後に・・・
実在モデル・安藤明美さんが寂しく思っていたこと、百福さんとの仲の良さが伝わってきますよね♪
まんぷくのストーリーを見ると、ただただ福子が大変そうですが・・・。
周りの人に幸福をもたらす、安藤明美さんを実在モデルとしている「幸」♪由来は、「安藤明美さん」からきたのかもしれませんね!
まんぷくで、立花幸がどのように描かれるのか注目です!