なつぞら

高畑勲の学歴や作品のこだわりが凄い!あだ名パクさんの由来が話題!

NHK連続テレビ小説「なつぞら」

アニメーターとして初めての作品である「わんぱく牛若丸」の制作が始まり、仕事にも力の入るなつ。そんななつの前に新人演出助手である坂場一久が現れます。意見をぶつかり合わせる2人ですが、これから影響を与えあうことになりそうです。

坂場一久を演じるのは中川大志さん。坂場一久の実在モデルとなっているのは高畑勲さんです。これからなつぞらで存在感を発揮していきそうで楽しみですね!

まんちゃん
まんちゃん
坂場は面白いキャラクターだね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
2人はこれから恋に発展するのかな?楽しみ!

今回は中川大志さん演じる坂場一久の実在モデルである高畑勲さんについて詳しく調べてみましたのでお伝えします!

高畑勲の生涯や学歴紹介

生い立ち

高畑勲さんは1935年に三重県で7人目の末っ子として生まれます。8歳の時に父親の仕事の都合で岡山市に転居。その後、戦争が激しくなる中9歳で岡山で空襲にあいます。

空襲で姉とともに家族とはぐれた高畑勲さんは火の中を逃げまどったといいます。この体験は高畑勲さんの人生にとって忘れられないものとなりました。「火垂るの墓」での空襲のシーンなどはご自身の体験から表現したものかもしれません。

まんちゃん
まんちゃん
高畑勲さんは戦争を経験しているんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
戦争の恐ろしさを身をもって経験していたのか…。

高学歴!東京大学に進学

高畑勲さんの学歴
1942年 三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学
1943年 岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入
1948年 岡山大学付属中学校に入学
1951年 岡山県立朝日高校に入学
1954年 東京大学文学部仏文科に入学

高畑勲さんは高校卒業後、東京大学文学部仏文科に進学しフランス文化を学びます。高畑勲さんの優秀ぶりは有名でした。

この時、高畑勲さんはフランスのアニメ「王と鳥(旧題やぶにらみの暴君)」に大きな刺激を受け、日本語の字幕も担当します。高畑勲さんはフランス文化を愛してやみませんでした。

まんちゃん
まんちゃん
高畑勲さんって東京大学だったんだ!!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
すごいね!フランス文化に興味があったのか。

死因

高畑勲さんは2018年4月5日に83歳で肺がんのため亡くなりました。遺作は2013年公開の「かぐや姫の物語」です。2017年4月頃より体調を崩し手術を受けてからは入退院を繰り返していたと言います。

後日、ご子息が高畑勲さんの死についてコメントを出しています。

「純粋な好奇心と、日頃の勉強から得た発想と着想を実験的なやり方を交えて各分野の才能あふれる仲間たちと表現することが出来ました。父は本当に幸せな人間だったと思います。」

死去から1か月経った5月15日に三鷹の森ジブリ美術館で「お別れ会」が開かれ、親交の深かった宮崎駿さん、小田部羊一さん、久石譲さんらが高畑勲さんへのメッセージを読み上げました。高畑勲さんは最晩年には長年の夢であった「平家物語」の短編映画の制作に取り掛かっていましたが、病状が悪化し死去の3か月前に断念しています。

まんちゃん
まんちゃん
宮崎駿さん、涙を流してメッセージを読んでいたね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
2人は盟友って言われていたもんね。

仕事の経歴やこだわりが凄い!あだ名の由来が可愛い

高畑勲さんは東京大学在学時にフランスのアニメーション「やぶにらみの暴君」に感銘を受けてアニメーションの世界に入ることを決意します。大学卒業とともに東映動画に入社し、「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手、テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビューします。その後「太陽の王子ホルスの大冒険」の監督に大抜擢され高い評価を得ました。


しかしその後は宮崎駿さん、小田部羊一さんとともにAプロダクション、ズイヨー映像へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」などの演出を担当し、膨大な資料を調べ徹底的にリアリズムを追求するその仕事ぶりは宮崎駿さんらに大きな影響を与えました。

1981年にはテレコム・フィルムコミッションへ移籍し5年を費やして「セロ弾きのゴーシュ」を完成させ、この作品は毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞しました。その後は宮崎駿さんとともにスタジオジブリを設立。


1988年には「火垂るの墓」を制作しますが、わずかながら制作スケジュールが間に合わず1シーンを未完成のまま公開を迎えてしまったことで引退を決意します。しかし、宮崎駿さんの後押しもあり1991年に「おもひでぽろぽろ」で監督復帰しました。その後1994年「平成狸合戦ポンポコ」、1999年「ホーホケキョ となりの山田君」を制作しますが、それからは10年以上制作活動は途切れます。

スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーはインタビューで「高畑勲さんの場合、自分で絵は描かなかったので彼のイメージを具体化できるアニメーターを見つけるのが難しかった。高畑勲さんはこだわりも強くその為作品のペースが空いてしまった。」と話しています。

2013年遺作となった「かぐや姫の物語」が予定より半年遅れで公開となり、その映像の美しさで話題となりました。「かぐや姫の物語」で使われたセル画の数は50万枚とも言われています。セル画が多いと言われているジブリ作品でも10万枚程度だと言われていますので、圧倒的に多い枚数だということが分かりますね。

まんちゃん
まんちゃん
高畑勲さんは作品に対するこだわりが強くて作品の完成までに時間がかかることが多かったみたいだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
それだけ作品に真摯に向き合っていたんだろうけど、周りの人は大変だっただろうね。

高畑勲さんは東映時代によく遅刻をして食パンを牛乳と一緒にパクパク食べていたため、宮崎駿さんから「パクさん」という愛称をつけられたそうです。宮崎駿さんはその頃からずっと高畑勲さんを「パクさん」と呼んでいたそうです。

高畑勲の結婚相手は誰?家族についても

高畑勲さんはご自分のプライベートに関しては一切公にしませんでした。結婚しているのか、子供がいるのかも全く公表していません。しかし、高畑勲さんの死後に長男である高畑耕介さんが父親である高畑勲さんの死について正式なコメントを出しています。その為、お子さんが1人いることは分かりました。

子供がいるということは結婚をしていたと思われますが、奥さんについての情報は全くありませんでした。長男以外の子供の情報のありません。高畑勲さんはご自分のプライベートに関しては明かしたくなかったのでしょう。

まんちゃん
まんちゃん
長男がいたんだね。結婚していたのかな?
ぷくちゃん
ぷくちゃん
公表したくなかったのには訳があるのかな…。

高畑勲さんの父親は高畑浅次郎さん。教育委員会制度発足時の岡山県教育長として活躍し、岡山県名誉県民顕彰者です。兄弟もたくさんおり7人兄弟の末っ子ということが分かっています。

主な監督作品

1968年「太陽の王子 ホルスの大冒険」
1972年「パンダコパンダ」
1974年~「アルプスの少女ハイジ」(演出)
1976年~「母を訪ねて三千里」(演出)
1982年「セロ弾きのゴーシュ」
1984年「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)
1986年「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)
1988年「火垂るの墓」
1991年「おもひでぽろぽろ」
1994年「平成狸合戦ぽんぽこ」
2013年「かぐや姫の物語」

 

やはりたくさんの名作を世に送り出しています。宮崎駿さんとは盟友と呼ばれ、「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」は2人の協力のもと作られています。宮崎駿さんは自分の作品を一番見せたいのは高畑勲さんで宮崎駿さんの夢には高畑勲さんが度々出てたと語っています。それほど2人は影響を受け合っていたのですね。

最後に

日本アニメーション界にとってとても大きな存在であった高畑勲さん。あの宮崎駿さんとともにスタジオジブリを設立したくさんの名作を残しました。「かぐや姫の物語」の美しさは圧巻ですね。

「なつぞら」にも高畑勲さんが実在モデルとなっている坂場一久が登場しました。これからどのように描かれていくのか楽しみですね。そしてオリジナルの展開でなつとの恋模様はあるのでしょうか?これからの展開が楽しみです!