NHK連続テレビ小説「なつぞら」
「なつぞら」の放送も折り返しを過ぎ、なつもアニメーターとして成長!次回作の短編映画で麻子とともに原画を担当することになりました。なつの夢が叶いつつあり視聴者としても嬉しいですね。
前も言ったけどなつぞらの貫地谷しほりがめちゃくちゃにかわいい
目が綺麗。涙量が多いのか常にキラキラしてる。
あとアイシャドウなにいろ使ってるの?教えて pic.twitter.com/H4Y7kBt8BN— A Y 🎭 (@__noAy) June 26, 2019
東洋動画の実在モデルとなっている東映動画の作画課には、当時3人の女性がいました。その1人が麻子の実在モデルである中村和子さんです。あと2人は、なつの実在モデルである奥原玲子さんと茜の実在モデルである大田朱美さんですね。
今回は貫地谷しほりさん演じる大沢麻子の実在モデルである中村和子さんについて詳しく調べましたのでお伝えします。
中村和子さんの生い立ち
貫地谷しほりさん演じる大沢麻子のモデル中村和子さんの記事。女優と間違えられたというエピソードに納得。#なつぞら pic.twitter.com/aQTnrYBudm
— まつもと🇫🇷 (@matsuwitter) June 8, 2019
中村和子さんは1933年に満州で産まれます。12歳の時に満州で終戦を迎えた中村和子さんは、ロシア兵が満州に入ってきて民間人に銃口を向けることが度々あったため、銃弾をかいくぐって歩くことにも慣れているという過酷な状況の中で生活していました。
その後、山口県に帰国。小さいころから絵を描くことが好きだった中村和子さんは、宇部高校から女子美術大学洋画科に進学。そして、在学中に見たフランスの漫画映画「やぶにらみの暴君」を見てアニメーションに興味を持ちます。なんと、絵を描くことだけで生きて行くのは大変だと思った中村和子さんは中学と高校の教員免許も取得していました!
中村和子さんが影響を受けたというフランスの長編映画「やぶにらみの暴君」は高畑勲さんにとってもアニメーションの世界を目指すきっかけとなった作品ですね。どんな作品なのか気になります!
中村和子の夫
中村和子さんは1960年に日本最古の広告代理店である萬年社の穴見薫さんと結婚します。この結婚を機に東映動画を退社。穴見薫さんは後に手塚治虫さんの「鉄腕アトム」に大手製菓メーカーである明治をスポンサーにつけて手腕を発揮したことで、萬年社の常務取締役に就任します。しかし、1966年穴見薫さんは会社内で突然倒れてそのまま死去。まだ42歳でした。
中村和子さんの経歴
東映動画時代
中村和子さんは大学卒業後、1956年に東映動画スタジオ設立とともに入社。日本初の長編アニメーション「白蛇姫」の制作に参加します。そして、原画担当を補佐するセカンドと呼ばれるポジションに抜擢され手腕を発揮していきました!
#白蛇姫 のポスター欲しい!!!!!
これは、#白蛇伝 。#なつぞら pic.twitter.com/FCM8xPOiou— 呑み鉄 詩人 (@isaitsa) June 19, 2019
その後は「少年猿飛左助」「西遊記」を手掛け、「西遊記」を最後に中村和子さんは結婚のため東映動画を退社します。
虫プロダクションへ
中村和子さんは手塚先生の元へ移籍してからは一貫してその側近として活動した。虫プロではエース格として活躍、虫プロが倒産するとフリーになったが手塚先生がアニメ制作を再開すると復帰して再び側近として活動した。手塚先生からの信任は非常に厚く、親しみをこめて彼女を「ワコさん」と呼んでいた。 pic.twitter.com/137tOqO7IB
— 令和の土星人@7/28ハロ紺名古屋 (@4568Ts) June 5, 2019
東映動画退社後は、東映動画最後の作品である「西遊記」に参加していた手塚治虫さんから「自分のプロダクションに来ないか?」と度々スカウトを受けます。その熱意に押され、1962年に手塚治虫さんの「虫プロダクション」に入社しました。
中村和子さんは「虫プロダクション」への入社を迷っている時に見学に行ってみたら、その日から徹夜で仕事に参加することになったというエピソードがあります。
中村和子さんは「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などの作画担当として、技術的な部分がまだ未熟であった「虫プロダクション」の黎明期を支えました。
作名:鉄腕アトム
作者:手塚治虫
宇宙船に乗って地球へやって来たのは、地球の人々とウリ二つの人たちだった!地球人と宇宙人の間に始った戦争をやめさせるため、ロボットのアトムが大使となったが…!? pic.twitter.com/jw0cut86X4— おすすめマンガ紹介bot (@manga_100sen) June 29, 2019
中村和子さんは「鉄腕アトム」の仕事をやり遂げた後に1度「虫プロダクション」を退職し専業主婦となりますが、夫である穴見薫さんに「手塚治虫先生を助けて欲しい」と頼まれ再び仕事に復帰しています。
1973年、虫プロダクションが倒産に追い込まれ中村和子さんはフリーとなりますが、手塚治虫さんの口利きもあり仕事は途切れることはありませんでした。中村和子さんは「虫プロダクション」の黎明期を支えた偉大なアニメーターです。
中村和子さんの関わった主な作品
1958年「白蛇姫」
1959年「少年猿飛左助」
1960年「西遊記」
1962年「ある街角の物語」
1963~66年「鉄腕アトム」
1965~66年「W3」
1967~68年「リボンの騎士」
1969年「千夜一夜物語」
1970年「クレオパトラ」
1974年「ジャックと豆の木」
1978年「火の鳥 黎明編」
1983年「ふしぎの国のアリス」
中村和子さんは主婦業に専念しようと仕事を辞めていますが、彼女の才能が素晴らしかったため周りの後押しもあり2度仕事復帰を果たしています。ご主人の急死など辛い出来事もありましたが、それを乗り越えてたくさんの名作を世に送り出しました!
最後に
手塚治虫さんに才能を認められ「虫プロダクション」の黎明期を支えた中村和子さん。「鉄腕アトム」など今もなお日本中で愛される作品に参加されていました。
「なつぞら」ではまだ中村和子さんの東映動画時代の物語ですが、今後の「虫プロダクション」時代も描かれるのでしょうか?楽しみですね!