NHK連続テレビ小説「なつぞら」
「なつぞら」の放送も折り返しを迎え、物語も後半に入りました!妹である千遥が十勝に来たことで、久しぶりになつが十勝に帰ってきました。そこで4年ぶりの再会を果たすなつと天陽。
昔と同じように「天陽く~ん!」と呼び掛けようとしたところで 靖枝の姿が 目に入ったなつ。残酷な対比。 #なつぞら pic.twitter.com/1pt3beJzCn
— ひぞっこ (@musicapiccolino) July 5, 2019
上京したなつへの想いを最初は絶ち切れずにいた天陽ですが、すでに結婚していることが分かり視聴者を驚かせました!なつも天陽が結婚したことを知っていたとはいえ、ショックを隠せない表情でしたね。
今回は吉沢亮さん演じる山田天陽の実在モデルである神田日勝さんについて詳しく調べたのでお伝えします。
神田日勝の生涯について。なつぞらとの共通点多数あり
【深掘りレポート Vol.11 神田日勝 3/5】#神田日勝 の一家は、終戦間近の1945年8月に #鹿追 村(当時)へ入植。実家の #農業 を継ぐ傍ら、19歳の時に平原社展に出品した『#痩馬』で朝日奨励賞を受賞後、身近な #農耕馬 の姿を #ベニヤ板 に描いた作品等で数々入賞しました。 pic.twitter.com/QFrL2SBRRB
— 十勝総合振興局のなっちゃん隊 (@tokachi_natchan) 2019年5月13日
神田日勝さんは1937年東京都練馬生まれ。5人兄弟の4番目の子供でした。日中戦争の最中に産まれたため、「日本勝利」という意味を込めて「日勝」と名付けられました。1945年の8歳の時に東京大空襲にあい、戦火を逃れるために家族で北海道鹿追町に疎開します。しかし、神田家が北海道に到着した翌日に終戦の日を迎え、その後は苦しい生活を余儀なくされました。
1952年、神田日陽さんは兄である神田一明さんの影響を受けて油絵を描き始め、その才能を発揮し始めます。兄弟で絵が上手かったため、絵の上手い兄弟として学校で有名になるほどでした。しかし、兄が東京芸術大学に入学し家を離れたことから、神田日勝さんは家業である農家を継ぐことになり農業をする傍ら絵も描き続けました。
1956年に平原社展に「痩馬」を出品すると、朝日奨励賞を受賞。その後も1960年には「家」が全道展に初入選しその評価を高めていきます。画風は、ベニヤ板にペインティングナイフやコテで描く力強い画風であり、馬や牛の作品が多いことで知られています。
しかし、1970年に代表作である「室内風景」を全道展に出品した後に体調を崩して入院すると次第に体調は悪化。絶筆である「馬」を制作中である8月25日に敗血症のため32歳という若さで死去しました。
神田日勝の家族
両親と兄弟
神田日勝さんの父親である神田要一さんは衣類販売を営んでいましたが、東京大空襲で商売が出来なくなり北海道を開拓する北農兵隊に応募して北海道へ移り住みます。母親の神田ハナさんは美人画を描いていた経歴があるため、神田日勝さんはその才能を引き継いだのですね。
一番上の兄である神田一明さんも油絵の才能があり、東京芸術大学へ進学します!しかし、家庭の金銭的事情で弟である神田日勝さんは高校進学を諦め農家を継いでいます。ほかには姉が2人、妹が1人いました。
妻・神田ミサ子と2人の子供
神田日勝さんは、1962年に北海道の青年団の交流で知り合った農家の娘であるミサ子さんと結婚します。ミサ子さんは神田日勝さんの姉の嫁ぎ先の親戚でしたが、そのことはお互いに知らずに出会いました。そのことがわかった後は姉が仲介役となって2人は結婚に至ります。
神田日勝さんには2人の子供がいます。1964年に長男の神田哲也さん、1964年に長女の神田絵里子さんが産まれました。長男の神田哲也さんに関しては情報がなかったのですが、長女の神田絵里子さんは画家として活躍されていました!父である神田日勝さんとは正反対の繊細で透明感のある画風の絵を描いており、十勝の自然の風景を得意としています。北海道を中心に個展も開かれており、8月からは札幌で開かれる予定です。
カフェ北都館ギャラリーhttps://t.co/8kG6x5klwH
『名画の小部屋 神田 絵里子-十勝の四季Ⅱ-』
2019年8月1日-31日
土~月 10:00-19:00
木~金 10:00-22:00
火曜休 最終日‐17:00 pic.twitter.com/5fDYeB0MOw— ART-SPACE201 (@pupapipupapipa) July 9, 2019
神田日勝の主な作品
今朝の「なつぞら」はご覧になりましたか?
とうとう「彼」が登場しましたね。神田一家が十勝にやってきて初めて買った農耕馬は、馬喰にだまされて買わされた年老いた馬でした。
日勝のデビュー作《痩馬》のモデルではないかとも言われています。#神田日勝 #なつぞら #山田天陽 pic.twitter.com/kWz7AKRlEz
— 神田日勝記念美術館 (@kandanissho) 2019年4月5日
「痩馬」(1957年)
神田日勝さんが中学を卒業し農業に励む傍らこの絵を完成させ帯広・平原社展に出品し初入選しました。このやせ細った馬はともに生活をしていた農耕馬と思われます。この絵以降神田日勝さんは馬の絵を描き続けました。
神田日勝美術館
ドラマ『なつぞら』のチラシを持って館内を巡っている人がほとんどでした。
元々純粋に「日勝に興味がある」のは私と母だけだった様です画像は、母が「手足が立派で好き!」と絵葉書を買っていた油彩画『飯場』 pic.twitter.com/q7eIbC5Y41
— ブンブン・ゴンザレス・友部 (@PRmw7) July 4, 2019
「飯場の風景」(1963年)
飯場で働く男たちのつかの間の休息を描いた作品です。神田日勝さんには飯場での労働体験はありませんが、過酷な環境の中での開拓農家の境遇に共感して描かれたものです。
この絵は50年前のものだけど新聞をネットに変えたら、今のぼっちな気持ちになったときの自分たちと全く変わらない、すこしでも情報の中でぼっちな感覚になったことがあるなら、みんなにこの絵のことを広めてほしい#神田日勝 pic.twitter.com/ddCamLrfnO
— 魔人ゾディアックさん (@majinnanya) 2018年4月23日
「室内風景」(1970年)
神田日勝さんの最後の完成作品です。今までの作品とは違い、わずかに遠近法を用いられています。現代社会に生きる人間の孤独と苦悩が表現されており、その在り方を問う力作として人々の心に残る作品です。
天陽クン(「なつぞら」)のモデルとおぼしき画家さんがいるんだけど、32歳の若さで病気で亡くなってて、もしかするとドラマでも……?😢 画像は彼の作品「馬(絶筆・未完)」。神田日勝 記念美術館(北海道 鹿追町)のサイトから。 pic.twitter.com/EzpcehSFa5
— Mitchie (@Mitchie_t) June 15, 2019
「馬(絶筆)」(1970年)
この作品は未完成のままアトリエに残されていた作品です。むき出しのベニヤ板に馬の半身だけが描かれています。最期の作品ですが、どこか初期の作品と似ており原点に帰ったと思わせます。この馬の完成を想像しながら見ることが出来ますね。
神田日勝記念美術館
北海道鹿追町・神田日勝記念美術館#鹿追 #神田日勝 #神田日勝記念美術館 #美術館 #桜 #十勝 #北海道 #なつぞら #天陽くん #山田天陽 https://t.co/nBgjCfTB3f pic.twitter.com/tznRgL7of9
— ひらっち (@hiratchi0104) 2019年5月5日
神田日勝記念美術館は1993年に鹿追町立神田日勝記念館として開館しました。現在は神田日勝記念美術館と名前を変えています。
神田日勝美術館は「馬」や「風景画」32枚の絵が展示されています。作品以外にも神田日勝のアトリエを再現しているコーナーや家族や友人との写真の展示もあり見どころが満載です。
神田日勝さんの短い人生の中でも力強く描いた作品が多数展示されていますので、北海道に行く機会があればぜひ行ってみたいですね!
神田日勝美術館
住所:北海道河東郡鹿追町東町3丁目2
電話:0156-66-1555
営業時間:10:00~17:00(入館受付は16:30)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日(土日の場合は開館)
年末年始(12/30~1/5)
最後に・・・
神田日勝さんは絵の才能に溢れながらも北海道で農業をしながら絵を描き続けました。若くして亡くなってしまったのは本当に残念です。もっとたくさんの作品を描いて欲しかったですね。
なつぞらでは神田日勝さんが実在モデルである、吉沢亮さん演じる山田天陽が視聴者の人気を集めています。実際は神田日勝さんは32歳で死去していますが、天陽はオリジナルの展開で最後まで元気でいて欲しいです!!