エール

古関正裕(古関裕而の息子)の現在は親父バンド喜多三で大活躍!

いよいよ今年4月放送開始のNHK連続テレビ小説「エール」
放送開始まで3ヶ月を切りましたね。
音楽とともに生きた主人公夫妻の物語で明るいテーマになりそうで、放送開始が楽しみです!

まんちゃん
まんちゃん
音楽に励まされた経験がある人は多いよね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
ドラマだけど、そういう要素もあるといいな♪

今回は主人公の実在モデルである昭和の天才作曲家・古関裕而さんの息子の正裕さんの現在について詳しく調べてみたいと思います。

古関正裕さんについて

生い立ち

古関正裕さんは1945年(昭和20年)8月15日終戦の翌年に生まれました。
父親である古関裕而さんの影響か、小学校1年生の時から12年間ピアノを習っていました。
また自宅でも、コップに水を入れて音階を作るような遊びをしていました。
音程が合わなすぎると父親の裕而さんが自室で作曲している手を止め、「うるさい」と怒りに来たそうです。
作曲家の裕而さんは厳しいのかと思いきや、正裕さんが怒られたのは後にも先にもこの1回だったと言います。

高校卒業後は・・・

12年間続けたピアノの武器に音大に進もうと考えたこともありました。
しかし、父親と同じ業界にいっても父親の陰に隠れてしまうと思い、音大への進学は諦め、早稲田大学に入り、日本経済新聞社に就職します。

この時代は日本も高度成長期でビートルズが来日するなど、音楽業界にも活気がありました。
古関正裕さんも1966年(昭和41年)には「ヴィレッジ・シンガーズ」というグループサウンズを組んで活躍していました。
ヴィレッジ・シンガーズは当時フォークソングが流行っていた時代に、エレキギターやドラムを取り入れて斬新な形となり、人気バンドとなりますが、古関正裕さんはデビュー前に脱退してしまいます。

まんちゃん
まんちゃん
もしかしたら、この中の一人になっていたかもしれないんだよね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
そしたら今とはまた違う人生だったろうね~

退職後は・・・

定年で日本経済新聞社を退職した後は、青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営んでいました。
さらにセレクト・ショップの経営の傍ら、小説「緋色のラプソディー」を執筆します。

2009年には父親である古関裕而の生誕100年記念のCD全集を企画し、その年の日本レコード大賞企画賞を受賞しています。

現在は・・・

2013年に鈴木聖子、齊藤早苗と共にライブユニット「喜多三」を立ち上げます。
以前から親父バンドは結成していたものの、レコード大賞の企画賞受賞をきっかけに、父親の曲を多くの人に広めたいと考えていた古関正裕さんは、オーケストラ仕様の曲は親父バンドでは演奏が出来ないとして、「喜多三」結成に至ります。

2014年以降はライブの場を大きなホールに移し、歌や演奏だけではなく、曲や歌手などにまつわるエピソードを、映像を使って紹介するトークなども交えた異色ライブを行っています。

まんちゃん
まんちゃん
お父さんとは別の道に行っても、どこかで共通点があるものだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
世代が変わって、もう一度曲を広めたいなんて、素敵な話だね!

家族について

ここで古関正裕さんのご家族についてご紹介します。

父:古関裕而さん

「エール」の主人公の実在モデルとなる昭和を代表する作曲家です。
1964年の東京オリンピック開会式での演奏曲「オリンピック・マーチ」や現在でも使用されている夏の高校野球のテーマ曲「栄光は君に輝く」を作曲されており、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

その功績をたたえられ、出身地である福島県福島市から名誉市民として選ばれます。
それを記念して「古関裕而記念館」も立てられますが、この頃にはご本人は入院生活を送っていて、実際に足を運ぶことは叶いませんでした。

母:古関金子さん

幼い頃から音楽好きだった金子さんは将来は声楽家になりたいと考えていました。
ある日、「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という新聞記事を読み、思わずファンレターを送ってしまったことがきっかけで裕而さんと出会います。

裕而さんと結婚後も声楽の勉強をされておりましたが、正裕さんが生まれて子育てに専念するために、声楽の勉強は辞めてしまいます。

姉:古関雅子さん・古関紀子さん

古関正裕さんにはお姉さんが2人いたことまでは分かったのですが、それぞれどんな人生を歩んだかなど、詳しいことは分かりませんでした。

父親である古関裕而さんが東京オリンピックのテーマの作曲を依頼されたときに、喜び方が尋常ではなかったと、後に長女の雅子さんが振り返るエピソードだけが記録されています。

最後に

作曲家・古関裕而さんの息子である古関正裕さんの生い立ちから現在までを調べてみましたが、いかがでしたでしょうか?
現在は父親の裕而さんの曲を改めて広めるべく、ライブ活動を行っており、2019年の年末もライブを行うほど精力的に活動されているようです。

春からは朝ドラを通じても古関裕而さんの世界が広がることとなり、正裕さんも喜びのコメントを出していました。
亡くなられて30年以上経つ楽曲でも馴染みがある曲が多いので、1曲でも多く、私たちの耳に入るのを今から楽しみにして待ってみたいと思います♪