スカーレット

神山清子の作品や価格を徹底調査!現在購入する方法が!

喜美子と八郎の「熱くなるもの」が明確になり、それぞれの目標が見えてきたスカーレット。
喜美子は自身の旅のお供となった信楽焼の破片のように、誰かを応援できる作品を作ることが出来るのでしょうか?
ここでは、喜美子の実在モデルである神山清子さんが実際に作った作品についてご紹介します。

神山清子の作品について紹介

神山清子さんは師事していた日本画家の絵付師の先生の紹介で「近江化学陶器」のデザイン部で働いていました。
入社10年も経つと、家電製品の普及で陶器が売れなくなってしまい、会社の経営も傾き始めます。
そこで清子さんは会社を辞め、ご自宅に工房を作り、陶芸家として独立を試みます。

台所で考え事をしていたときに思いついたのが、「信楽焼で食器を焼けないだろうか?」という女性ならではの発想でした。
次々に新しいデザインのお皿を焼き上げ、スカーレットで喜美子も作った「編み込み皿」を考案します。

これをもとに、日本クラフト展や朝日陶芸展など公募展に出品してみると、入選を果たし、神山清子さんの作品が認められ始めます。
出品した作品を売って足りない分はローンを組んで、ようやく自分のの電気窯を購入します。

その後、海外からも美術本を取り寄せ、アートについての勉強を始めます。
そして工房近くの古い穴窯から小さな陶器の破片を見つけます。
清子さんはその破片の釉薬をかけずに出された自然釉の色味にすっかり魅了されてしまいます。
スカーレットで喜美子が大阪への旅のお供にした破片に魅せられたのも、この部分を再現していますね。
清子さんさんんはこの色味を再現させようと、ご自宅に古代穴窯をつくり、通常の4倍もの窯焚きの時間を時間をかけ、理想の色味を出すことに成功するのでした。

株式会社えふえむ草津 ROCKETS785(ロケッツ785)引用

生活協同組合コープしが引用

神山清子の作品の価格と買い方について

こうして信楽初の女性陶芸家としての地位を築いた神山清子さんですが、現在もその作品を手にすることが出来るのでしょうか?
購入方法があるか調べてみたところ、いくつか方法があるようなのでご紹介します。

・陶房
信楽町に神山清子さんの陶房である寸越窯があり、そちらで食器の販売をしています。
見学も出来るようですが、事前に連絡を入れるほうが確実のようです。

信楽町観光協会のHP

・Yahoo!オークション
ヤフオクでは神山清子さんの作品を見かけることが出来ました。
しかし、よく調べてみると神山清子さんの息子である賢一さんの作品やお弟子さんの作品ということもあるので、細部まで確認が必要です。

ヤフオクより引用
こちらの花入れは¥41.500円で落札されていました。

ヤフオクより引用
こちらの商品は神山清子さんの作品の中の最高額¥500,000円で落札されていました。

若い頃の作品は少し価格が下がっていることもありますが、平均で5万円前後は落札に必要とされています。
スカーレットという作品で、神山清子さんの知名度も上がっているので、作品の価格も比例して上がってきています。

神山清子の人生を紹介

神山清子さんは小学生のときに信楽に移り住みます。
戦時中に金属が不足していたので信楽では陶器が金属の代わりになっていました。
なかでも火鉢が人気で、信楽では火鉢景気に沸いていました。

清子さんは絵を描くことが好きでしたが、父親の反対もあって美術学校に進むことはできませんでした。
中学卒業後は、和洋裁学校に進み、その後「近江化学陶器」に就職します。
近江化学陶器ではデザイン部に配属され、同じ部署で出会った神山易久さんと結婚をします。
易久さんは清子さんの中学時代の1つ先輩で、学内の美術コンクールではいつも清子さんに次いで2位だったといいます。
そのため、易久さんは清子さんのことをライバル視していましたが、清子さんは自分の作品作りに必死だった為、易久さんのことを知らなかったほどでした。

そんな2人には久美子さんと賢一さんという子どもが生まれますが、賢一さんは弟子の女性と不倫関係に陥ります。
清子さんが「恋愛をするのか、陶芸をするのか」と弟子の女性に問いただすと、陶芸をすると答えるものの、易久さんが女性をかばい、清子さんに辛くあたるようになるのです。
それでも夫婦2人で作品展に応募するものの、入選するのは清子さんのみでした。
そんな状況も面白くない易久さんは、清子さんを窯から締め出すという暴挙に出ます。

夫婦関係と作品作りに悩む清子さんですが、息子の賢一さんが離婚を後押ししてくれたこともあり、易久さんとは離婚し、賢一さんが陶芸の世界を引き継ぎ、親子二人三脚で作品作りに没頭していました。

しかし、賢一さんが29歳になったとき、白血病にかかっていることが分かります。
賢一さんは身内にドナーが見つからず、治療法がなく時間だけが過ぎていってしまいます。
賢一さんの知人たちが「神山賢一君を救う会」を発足させ、ドナー探しや募金活動を行ったものの、同じ病気の患者さんたちから「自分たちも救ってほしい」と声があがり、神山さん親子は日本国内での骨髄バンクの立ち上げに尽力することになりました。

活動も空しく、賢一さんは31歳で亡くなってしまいますが、清子さんは骨髄バンクの必要性を訴える活動をその後も続け、同じ病気と戦う患者さんや家族の力になり続けたのでした。

最後に・・・

スカーレットのヒロイン・喜美子の実在モデルとされる神山清子さんの作品や半生についてご紹介してきましたが、いかがでしょうか?
実は神山清子さんはまだまだ現役で、スカーレットでは陶芸指導として作品に携わっているのです。
ご自分が描かれた物語をどのような気持ちで見つめているのでしょう?
そして清子さんをモデルとするなら、喜美子はこれから壮絶な人生を歩むことになります。
どこまで再現されるのかヒヤヒヤしますが、喜美子の幸せを祈りながら最終回まで見届けていきましょう。