エール

三浦環(柴咲コウのモデル)の経歴や2人の夫が凄い!モテエピソードも紹介

ついに現在放送中のNHK連続テレビ小説「スカーレット」も最終週に突入し、来週からは新番組「エール」が始まります。
ネット上も「エール」の話題で盛り上がり始めましたね。

まんちゃん
まんちゃん
どんなドラマになるか楽しみ♪
ぷくちゃん
ぷくちゃん
元気が出るストーリーになるといいな!

今回は4月7日登場予定の柴咲コウさんが演じるオペラ歌手・双浦環の実在モデルについてご紹介します。
双浦環の実在モデルは、日本のオペラ歌手である三浦環さんとされています。

三浦環さんの経歴や生い立ちについて

経歴

1884年(明治17年)柴田環として東京府東京市京橋区(現在の東京都中央区内の京橋)に生まれる
1887年(明治20年)3歳の時に日本舞踊を習い始める
1890年(明治23年)6歳の時に長唄と箏を習い始める
東京女学館に入学
1900年(明治33年)東京音楽学校に入学
1900年(明治33年)軍医・藤井善一と結婚
1903年(明治36年)日本初のオペラ公演「オルフェオとエウリディーチェ」の主演に抜擢
1907年(明治40年)東京音楽学校助教授に就任
1907年(明治40年)藤井善一と離婚
1911年(明治44年)帝国劇場が開場し、劇場所属の歌手となる
1913年(大正2年)東京帝国大学医学部助手である三浦政太郎と結婚、三浦環となる
1914年(大正3年)ドイツに留学、その後ロンドンに移る
1915年(大正4年)ロンドンのオペラハウスで「蝶々夫人」を演じる
1920年(大正9年)蝶々夫人の作者・プッチーニに自宅に招かれる
1935年(昭和10年)20年ぶりに帰国
1946年(昭和21年)膀胱がんのため死去

生い立ち

幼い頃から音楽に精通していた三浦環さんですが、東京女学館に入学後に東京音楽学校出身の音楽教師から音楽家になることを勧められて、その教師の母校である東京音楽学校に通うこととなります。

三浦環さんは当時では珍しく女性ながら自転車通学をしていました。
当時では学校に自転車通学をする女性は1人か2人で新聞でも「自転車美人」として話題になりました。
男子生徒からも、からかわれてしまうほどで、童謡などの作曲家で有名な山田耕作さんを含めた男子生徒は横一列に並んで道をふさいだり、三浦環さんも大変苦労されたようです。

まんちゃん
まんちゃん
いつの時代も好きな女の子にちょっかい出すのは変わらないね
ぷくちゃん
ぷくちゃん
三浦環さんも気の毒に・・・

東京音楽学校在学中から日本初のオペラ公演で成功をおさめるなど、順調な音楽活動を続けます。
卒業後も設立されたばかりの帝国劇場でステージに立ったり、日本人で最初の洋楽レコードを出すという、新たな試みにも挑戦して、日本における声楽の先駆者的存在になっていきます。

モテエピソードがすごい

三浦環さんは学生時代からとにかくモテました!
自転車通学という珍しい姿に興味を持った男子たちもそうですが、東京音楽学校に入学する直前に既に結婚をしていました。
卒業して東京音楽学校助教授に就任する頃に、夫である藤井善一が仕事で仙台に転勤になりついてきほしいと言われましたが、自身の音楽活動を優先させるために離婚してしまいます。
当時、「自転車美人」として有名だった三浦環さんの離婚はマスコミでおもしろおかしく取り上げられてしまいます。

するとあちこちから三浦環さんに猛アタックが始まります。
その中には、ピアノの先生だった滝廉太郎までもプロポーズするほどでした。
やんわりと断られた滝廉太郎はそのままドイツへ留学してしまいました。

さらに遠縁であった三浦政太郎からも迫られます。
こちらも、のらりくらりと交わしていた三浦環さんですが、たまたま前の夫であった藤井善一と再会しているところを、またもやマスコミに取り上げられてしまいます。
三浦政太郎は「環さんと結婚できるなら、こんな記事は問題ではない!」と言うほど三浦環さんを好いていて、そのまま結婚することになります。

最初は環さんの音楽活動を応援してくれていたので、心置きなく打ち込むことが出来ましたが、20年ぶりに伴走者の男性と帰国した際にマスコミからバッシングを受け、家庭に入るように勧められたこともありました。

まんちゃん
まんちゃん
まるで胸キュンドラマだね♡
ぷくちゃん
ぷくちゃん
それにしても、モテモテすぎる・・・

家族について

最初の夫・藤井善一

三浦環さんが20歳のときに、父親の強い勧めで結婚をしました。
もともと三浦環さんの両親は三浦環さんが15歳のときに離婚していて、それ以降父親は三浦環さんに早くお嫁にいってほしいという気持ちが強くありました。
藤井善一と結婚したものの、東京音楽学校に通いながらの結婚生活で、結婚していることも周囲には秘密にしていた為、難しい生活が予想されます。

藤井善一が仙台に転勤を命じられたときに、三浦環さんは音楽の世界で活躍する道を選び、離婚しました。
その後、藤井善一が再婚を考えていた時にも三浦環さんと会っていた記録があるので、喧嘩別れではなく、円満離婚だったようです。

2番目の夫・三浦政太郎

医師であり、研究者でもある三浦政太郎さんは三浦環さんの仕事に理解を示してくれ、海外留学へも夫婦2人で赴きました。
優秀な研究者だった三浦政太郎さんは緑茶にビタミンCが大量に含まれていることを発見したことでも有名になります。
この発見で緑茶は海外に多く輸出されるようになりました。
お互い、自分の仕事が忙しくなってしまった2人は、晩年は2人でいることより、1人で生活することを選び、三浦環さんも孤独になってしまいます。

蝶々夫人に出演

アメリカ海軍士官と没落藩士の娘の悲しい物語である「蝶々夫人」。
三浦環さんは、その娘役を演じました。
1920年にローマの劇場で蝶々夫人を演じた時に作曲者であるプッチーニの自宅山荘に招かれました。
そこでプッチーニから「私が夢に描いていた理想の蝶々さんこそ、あなたです」と絶賛されます。

ローマでの上演の後もヨーロッパを中心に、アメリカでも通算2000回以上蝶々夫人を演じ、海外での評価はうなぎ上りでした。
幕が上がる前には生卵を2個丸飲みしてから臨むという、三浦環さんのルーティーンは海外の俳優からも驚かれていました。

ローマでの初舞台の時は、不運にも空襲と重なってしまい、三浦環さんが歌を歌っている横で「ドーン、ドーン」と大砲の音がしていました。
舞台で死ねるのなら本望とも思ったようですが、オーケストラも客席も誰もいなくなった時は、さすがに恐怖を感じたと記録が残っています。しかし、恐ろしさより、辺りが燃えて綺麗だとも思ったとの記録もあります。
三浦環さんという方は、肝が座っていながらお茶目なところもある人なのだと感じました。
このようなキャラクターなら男性からモテモテなのも納得ですね。

まんちゃん
まんちゃん
偉大な人なのに、なんかちょっと・・・
ぷくちゃん
ぷくちゃん
抜けているというか、そこが可愛いというか・・・

最後に

日本初のプリマドンナとして活躍された三浦環さんについて調べてみましたが、いかがでしたでしょうか?
プリマドンナとしての実力はもちろん、どこか愛らしい人柄に魅力を感じた人は多いのではないでしょうか?
海外では高い評価を得ても、日本ではマスコミによって非難の連続という悲しい記録がある方ですが、海外で20年間も蝶々夫人を演じるなどオペラにかける情熱は誰にも負けない方なのだと感じました。
「エール」では三浦環さんの役を柴咲コウさんが演じますが、この愛らしいキャラクターも再現してくれるのか期待されます!
柴咲コウさんがプリマドンナを演じる姿を楽しみに待ちたいと思います♪