エール

エール志村けんの役柄は小山田耕三!放送日や出演シーンを紹介!

NHK連続テレビ小説第102作目「エール」。
今回、私がエールで注目したのが小山田耕三(おやまだこうぞう)役の志村けんさん。

国民的な朝ドラに、国民的コメディアンの志村さんが出演!しかも、志村さんにとっては本格的なドラマ出演はこれが初めて!ということで、おどろいた人も多かったのでは?
役柄が日本音楽界の重鎮、小山田耕三ということもあり、第一線で走り続ける日本お笑い界の重鎮の志村さんにふさわしい役だと、「エール」公式からもコメントが出されています。

まんちゃん
まんちゃん
志村けんさんを表す手話として、「アイーン」のポーズが使われているんだって!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
「サインネーム」と言って、あだ名のようなものなんだって

志村けんさんは今回エールで初めての朝ドラ出演です。今までどんな俳優人生を送ってきたのかプロフィールや出演作品などを詳しくご紹介します♪

志村けんが演じる小山田耕三(おやまだこうぞう)ってどんな役?放送日や出演シーンを紹介!

志村けんさんが出演したのは第5週の「愛の狂騒曲」、5月1日でした!
第5週では、豊橋で、音も出演して裕一の演奏会が開かれます。この演奏会は大成功。新聞にも掲載され、それは思わぬ人の目にとまることに・・・。
裕一の知らないところで、小山田が演奏会の成功を知ることになるのです。
その後第8週「紺碧の空」の月曜日にも出演予定です!


音楽の才能を持ち、国際的な作曲コンクールにも入賞したのに、家庭の事情で音楽への道をあきらめそうになっていた裕一。裕一に音楽を続けてもらおうと、音はいくつかのレコード会社に裕一を売り込みに訪ねていきます。
その中で、コロンブスレコードが裕一と専属契約をしてくれることに。その陰には、大御所の作曲家である小山田耕三の推薦があったことを、翌年、裕一と音は知ることになります。

裕一がコロンブスレコードと契約した翌年の秋。
裕一の曲はなかなか採用されず、レコードになることはありません。契約料を半額にされそうになり、音はコロンブスレコードの廿日市のもとに交渉に乗り込みます。
廿日市は、ちょうど小山田を見送っているところでした。
古山の家内でございます、と、小山田とは気づかずにあいさつする音に、小山田はかすかに反応します。

音と二人になると、廿日市は言います。裕一の音楽は、西洋音楽のこざかしい知識をひけらかして、大衆の好みに合うものではない。どうして小山田先生が、裕一を雇うように推薦したのかがわからない、と。
前の年、音が売り込みに来たあと、小山田が裕一を推薦していたのでした。

「と、言うことは、廿日市さんは、小山田先生を軽く見ているということですね?先生の紹介で契約した主人を、ぞんざいに扱うなんて・・・。」
小山田の後を追おうとする音を、廿日市は必死で引き止めます。こうして、契約料を半額にすることは避けられました。
家に帰った音から、契約の陰に小山田の推薦があったことを聞いた裕一は、感激のあまり言葉もありません。

裕一の作曲方法は、ほとんど独学で身に着けたものでした。そんな裕一が頼りにしていたのは、小山田耕三の本。小学生のときに、父・三郎が五線紙とともに裕一に買ってくれた「作曲入門」でした。
そのため、裕一にとって、小山田はあこがれの存在でもありました。


翌日、会社のサロンで小山田と出会った裕一は、勇気を振り絞って小山田に話しかけます。
「こ、古山裕一です!わ、わたしは、先生の本で音楽の勉強を・・・。い、いつか、先生のように、西洋音楽の青レーベルでも曲を書かせてもらえるよう、がんばります!」
「・・・古山君は、流行歌の赤レーベルではどんな曲を出したのかね?」
「・・・じ、実はまだ採用にはならず・・・。」
沈黙が流れます。
このあと、裕一はろくに睡眠もとらずに作曲を続けますが、焦れば焦るほど良い曲が作れなくなってしまいます。

そんな中、早稲田大学の応援歌の作曲を依頼されたのに、自分の音楽にこだわって応援歌が作れない裕一。自分の才能を証明するため、裕一は三日三晩徹夜で交響曲「反逆の詩」を書き上げます。
裕一は小山田の自宅を訪ね、その交響曲を小山田に見てもらいます。緊張して小山田の反応を待つ裕一。小山田はふっと笑ったあと、「で?」と言って黙ってしまいます。
頭が真っ白になり、何も答えられない裕一を残して、小山田は書斎から出て行ってしまいます。
その後、自分の曲作りに足りないものー周りの人のことを想う心ーに気がついた裕一は、みごとに早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を完成させます。

プロの作曲家としてようやくデビューした裕一。それからしばらく経ったころ、裕一が作曲した「船頭可愛や」をオペラ歌手の双浦環が気に入り、レコードにしたいと申し出ます。
裕一はコロンブスレコードで流行歌担当の赤レーベルと契約していますが、オペラ歌手の環が歌うとなれば、西洋音楽を扱う青レーベルからレコードを出すのが筋というもの。
これに、コロンブスレコードの専務や社長が難色を示します。
「青レーベルの重鎮である小山田先生が、何と言うかねえ・・・。」

案の定、小山田は双浦環が「船頭可愛や」を歌うことを認めません。環は小山田の自宅を訪ね、直談判に及びます。
小山田は言います。
「流行歌である赤レーベルの新人作曲家が、西洋音楽の青レーベルの歌手に曲を書くなどありえない。身の丈というものがある。」
小山田は、自分の立場を脅かす若い才能に恐れを抱いているーそのことに気がついた環は、小山田に尋ねます。
「なぜ、先生は、西洋音楽で評価を受けていた古山さんを、わざわざ赤レーベルに推薦したのですか?」
そして、こうきっぱりと言い切ります。
「先生に反対されても、私は歌います。」

廿日市も、小山田の意向に逆らうことを初めは嫌がりましたが、腹を決めてレコードを出すことにします。
環の歌う「船頭可愛や」は、発売されるとすぐ、大ヒット曲になりました。

まんちゃん
まんちゃん
けっこうシリアスな役なんだね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
どんな志村さんが見られるんだろう?楽しみ!

実在モデルについて

小山田耕三のモデルは、作曲家の山田耕筰さんです。

生い立ち

山田耕筰さんは、1886年に東京に生まれ、明治から昭和まで活躍しました。
幼い頃は親戚や兄弟の家を転々として、いろんな人に引き取られながら育てられました。
姉夫婦に引き取られて岡山へ移った後は、義兄から西洋音楽の知識を学びます。
当時から音楽に興味があった山田耕筰は、この頃の体験を「生まれて初めて吸いたい空気を吸った」と語っているほどでした。

ドイツへ留学、帰国後は日本で初の管弦楽団・東京フィルハーモニーの首席指揮者を任せられます。
ところが女性問題で創設者の岩崎小弥太を激怒させてしまい、わずか1年でこの会は解散させられてしまいます。

その後、現在のNHK交響楽団の前身である日本交響楽協会を設立しますが、ここでもトラブルを起こしてしまいます。
今度は女性問題ではなく、不明朗な会計を理由に内紛がおきてしまい、山田耕筰が率いていた一派が追放されてしまいました。
この件で、多額の借金を背負った山田耕筰さんは茅ヶ崎に移住して再起を目指すこととなります。
この茅ヶ崎での移住生活をしていた頃に童謡の名曲が数多く生まれ、「赤とんぼ」もそのうちの1曲です。

茅ケ崎の地から再起したあとは、「日本コロムビア」で顧問として契約をしていて、「エール」で裕一の実在モデルである古関裕而さんが1930年に「日本コロムビア」と専属契約したときも山田耕筰さんの推薦がありました。
古関裕而さんが音楽を学んだのは、山田耕筰さんの著書なので、古関さんにとって山田さんはあこがれの存在でもあり、恩人でもありました。
しかし、女性関係でいろいろと問題を抱える山田耕筰さんだったので、愛妻家だった古関さんにとってはその点は理解できない部分だったようです。

まんちゃん
まんちゃん
あんなきれいな曲を作るのに、不倫とは・・・
ぷくちゃん
ぷくちゃん
古関さんとは真逆の人だったんだね

改名エピソード

山田耕筰は、もともとは山田耕作として活動していました。
しかし昭和5年に突如、耕作から耕筰へ改名します。
戸籍上はその後20年以上そのままでしたが、この改名にはエピソードがありました。

これは当時、山田耕作という同姓同名の人が全国に100人以上もおり、人物の特定が出来ないというものでした。
さらに山田耕筰が指揮をする後ろ姿を見て、髪の毛の乱れを指摘してきた人物がいました。
カツラをつけろと言うほどだったので、相当なものだったのでしょう。
しかし、カツラが気に入らない山田耕筰は丸坊主にしましたが、その姿も自身は気に入らず、名前に毛毛(=ケケ)を増やし、竹かんむりをつけたとも言われています

山田耕筰さんについては、こちらでも詳しくまとめています!

志村けんのプロフィール♪

名前:志村けん(しむらけん)

本名:志村康徳(しむらやすのり)

誕生日:1950年2月20日

血液型:A型

出身地:東京都東村山市

身長:169cm

所属事務所:イザワオフィス

志村けんが芸能界に入ったきっかけは?

1968年、高校卒業を間近に控えた志村さんは、ザ・ドリフターズのリーダーだったいかりや長介さんに弟子入りを頼み込み、仮採用されます。
加藤茶さんの付き人を経て、1972年にお笑いコンビ「マックボンボン」でデビュー。当時の芸名は志村健でした。
「マックボンボン」消滅後の1974年、荒井注さんがザ・ドリフターズを脱退し、それに合わせて正式にザ・ドリフターズのメンバーに加入します。

まんちゃん
まんちゃん
いかりやさんの家の前で、弟子入り志願のために12時間待ち続けたんだって!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
しかも雪の降る中だって!

志村けんの代表作を紹介

ここで志村けんさんの代表作を紹介します。

8時だョ!全員集合

「8時だョ!全員集合」は、TBS系列で1969年から1985年まで放送されていた、ザ・ドリフターズ出演のお笑い番組です。最高視聴率50.5%を記録する人気番組で、さまざまな流行語も生みました。
志村さんは、少年少女合唱隊のコーナーで披露した「東村山音頭」が大受けし、シングルレコードとして発売もされました。また、加藤茶さんと踊った「ヒゲダンス」、童謡の「七つの子」の替え歌「カラスの勝手でしょ~」も人気になりました。

まんちゃん
まんちゃん
昭和の小学生は、みんなくぎづけだったね
ぷくちゃん
ぷくちゃん
当時のアイドルも、もれなく出演していたね

鉄道員(ぽっぽや)


「鉄道員(ぽっぽや)」は、1999年の日本の映画です。廃線間近の北海道のローカル線の駅長のもとに、さまざまな奇跡が訪れます。
志村さんは、炭鉱夫の吉岡肇を演じました。
コントやバラエティ番組以外での俳優としての出演はしない、と決めていた志村さんが、俳優として出演した唯一の映画です。主演の高倉健さんから直々にオファーを受けたため断ることはできなかった、と志村さんは語っています。

まんちゃん
まんちゃん
志村さん宅の留守電に、高倉健さんからの出演依頼のメッセージが入っていたんだって!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
原作は浅田次郎さん。泣ける映画だった・・・

天才!志村どうぶつ園


「天才!志村どうぶつ園」は、2004年から日本テレビ系列で放送されているバラエティ番組です。志村けんさんが園長、山瀬まみさんが秘書、相葉雅紀さんが飼育係という担当で司会を務めています。
志村さんの急逝に伴い、今後も志村さんの遺志を受け継いで、番組名はそのままで放送される予定です。

まんちゃん
まんちゃん
チンパンジーのパンくんと、志村さんとのやりとりが良かったよね
ぷくちゃん
ぷくちゃん
今後も番組は続くんだね!

志村けんの演技の評価まとめ!

次は演技の評価を紹介します。ここでは下手な意見と上手な意見をまとめてみました。

下手な意見

志村さんの演技について、下手だとする意見は見つかりませんでした!
コントでの存在感も、絶賛されています。

まんちゃん
まんちゃん
ドラマなどでも見たかったね
ぷくちゃん
ぷくちゃん
志村さん本人が出演しないと決めていたんだって

上手な意見

まんちゃん
まんちゃん
「鉄道員(ぽっぽや)」での演技が絶賛されているよ!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
何物にも代えがたい存在感があるんだね

エールでの志村けんに期待!

いかがでしたでしょうか?

エールでの役柄は、日本音楽界の重鎮、小山田耕三。
裕一がレコード会社と契約したときに推薦してくれた恩人であり、独学で作曲を学んできた裕一にとっては尊敬する師のような存在です。その一方で、裕一の才能を妬み、恐れからある行動に出てしまいます。

小山田を演じる志村けんさん。そのキャラクターでたくさんの人に愛された志村さんですが、残念なことに、2020年3月29日、新型コロナウィルスによる肺炎のため70歳で亡くなられました。
5月1日の志村さんの登場回のオープニングには、志村けんさんの名前と同時に、哀悼の意を表すテロップが入りました。

エールでの5月1日からの登場分について、志村さんで収録が済んでいる部分は予定通り放送される予定です。未収録分については、ナレーションで志村さんが登場する形が検討されています。
いずれにしても、変わらないお元気な姿の志村さんを見ることのできる、貴重な機会になりそうです。
謹んで、お悔やみ申し上げます。