エール

エール紺碧の空は現在も早稲田大学の第一応援歌!動画やネタバレも

NHK連続テレビ小説第102作目「エール」。

いよいよ、東京で作曲家としての道を歩き始めた裕一。
ところが、作った曲はなかなか採用されず、レコードになることもありません。音をはじめ、木枯や久志など周りの人たちも心配していますが、なかなかうまくいかず・・・。

今回、私がエールで注目したのが、早稲田大学の応援歌「紺碧の空(こんぺきのそら)」エール第8週のタイトルにもなっていて、裕一のこれからの人生に大きな影響を与えてくれそうな曲です。

まんちゃん
まんちゃん
野球の早慶戦のテレビ中継で、聴いたことがあるかも?
ぷくちゃん
ぷくちゃん
応援歌らしい、元気のいい曲だよね

今回は、この「紺碧の空」や、この曲に関するエピソードや実在モデルについて調べてみましたので、ご紹介します♪

「紺碧の空」ってどんな曲?実在モデルも紹介!

「紺碧の空」は、早稲田大学の第一応援歌です。早稲田大学には、「紺碧の空」のほかにもいくつかの応援歌があり、「紺碧の空」は発表当時は第六応援歌という位置づけでした。

昭和初期、野球の早慶戦(早稲田大学VS慶應義塾大学)は大人気でした。ところが、勝っていたのはほとんど慶應義塾。
昭和2年、3年は慶應の全勝、昭和4年は3勝3敗だったものの、昭和5年には慶應が春秋4連勝と、慶應が圧倒的な強さを見せつけていました。これには、昭和2年に発表された慶應義塾応援歌「若き血」の力も大きく関わっていました。

この「若き血」に対抗できるパワーを持った応援歌が強く求められ、早稲田学内で募集した歌詞の中から、当時高等師範部3年に在籍していた住治男(すみはるお)さんの歌詞が選ばれます。
選者の一人だった、早稲田の教授で詩人でもあった西條八十(さいじょうやそ)さんも素晴らしい詩だと感嘆しました。

この詩に曲をつけるために選ばれたのが、当時ほぼ無名の新進作曲家だった、21歳の古関裕而(こせきゆうじ)さんです。「若き血」に対抗できる曲をと、作曲家選びに難航した末の大抜擢でした。

古関さんが直接の指導にあたり、応援部は猛特訓に励みます。そして昭和6年春、「紺碧の空」がデビューを飾った早慶戦では応援席も盛り上がり、早稲田がとうとう勝利します。

作詞の住治男さんは、残念ながら27歳という若さで、肺結核のためにこの世を去りますが、「紺碧の空」は早稲田の第一応援歌となり、作られてから80年近くたつ現在も歌い継がれています。
そして作曲をした古関裕而さんも、この曲をきっかけに世に知られるようになっていくのです。

まんちゃん
まんちゃん
「紺碧」は、深くて濃い青色のことなんだって
ぷくちゃん
ぷくちゃん
真夏の抜けるような青空の色だね

紺碧の空

昭和6年
作詞 住 治男
作曲 古関裕而

一.
紺碧の空仰ぐ日輪
光輝あまねき伝統のもと
すぐりし精鋭闘志は燃えて
理想の王座を占むる者われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田

二.
青春の時 望む栄光
威力敵無き精華の誇
見よこの陣頭歓喜あふれて
理想の王座を占むる者われ等
早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田

引用サイト:早稲田大学応援部 校歌・応援歌紹介
http://www.w-ouen.com/songs/

第8週「紺碧の空」あらすじ


コロンブスレコードの契約作曲家になったものの、作った曲が採用されず、プレッシャーに悩む裕一。そんな裕一のもとに、ある日、早稲田大学応援部の団長の田中隆(たなかたかし)が訪ねてきます。
「こんたびは、わが応援団の新しか応援歌作曲ばお引き受けいただき、ありがとうございます!」
いきなり応援団の団員たちに胴上げされ、裕一には何のことなのかさっぱりわかりません。


明治36(1903)年、早稲田の野球部が慶應の野球部に挑戦状を出したことから始まった、野球の「早慶戦(そうけいせん)」。
一時は応援が盛り上がりすぎて中止になってしまいますが、「東京六大学野球」が創設されたことで復活、ラジオが普及したこともあって、いまや国民的関心事と言えるくらいの人気となっていました。
ところが、慶應の新しい応援歌「若き血」が歌われるようになったころから早稲田は11連敗。
今までの行儀のよい応援歌ではない、心を沸き立たせる応援歌が必要だと田中は宣言、校内で歌詞を募集します。選ばれたのは、高等師範部3年の住治男が作詞した「紺碧の空」でした。

次の早慶戦が二週間後に迫る中、急いで曲をつけなければなりません。大御所の作曲家ではなく、若くて血潮のたぎった作曲家は誰かいないか、というときに、応援団の佐藤幸太郎(さとうこうたろう)が手を挙げます。
「私のいとこに、音楽学校に通っているやつがいます。」
そのいとここそ、久志でした。

久志を訪ねて、応援団員たちが音楽学校に乗り込んできます。久志は、スランプに陥っている裕一に作曲させるべきだと思い、音に言います。
「あいつ、このままじゃだめになるよ。」


そんなわけで古山家に押しかけてきた応援団員たちでしたが、裕一はこの話を断ろうとします。
そんな裕一に、音はやるべきだと言います。久志に聞いたところでは、今までの早稲田の五曲の応援歌は有名作曲家が作曲していて、その中には小山田もいるとか。
「小山田先生と同じ土俵に立つってことじゃん!名誉なことだよ!」
裕一は、作曲を引き受けることにします。

そのころ、すでに人気作曲家として名前が売れ始めていた木枯。裕一がコロンブスレコードに出向くと、木枯は新曲「丘を越えて」のレコーディングをしていました。
この曲を歌う歌手の山藤太郎は、慶應から東京音楽学校に進んだエリートだと言います。
「なのに、なぜこんなことを?」
家庭の事情でお金が必要なため、偽名で歌っていると答える山藤。
流行歌を下に見ているような裕一の言葉に、こんなことってどういうこと?と、廿日市がかみつきます。
その廿日市を食事に連れ出しながら、木枯は、後でサロンにいて、と裕一に声をかけます。
みんなが出て行った副調整室で、技師の小田が裕一に言います。
「君みたいな人、いっぱい見てきたよ。己にこだわって、才能を生かせない人。」
裕一は、返す言葉がありません。


サロンに戻ってきた木枯が、いつかぜひ一緒にやってほしいから、と山藤を裕一に紹介します。
そのとき、山藤が、裕一の書きかけの譜面にある「早稲田大学第六応援歌」の文字に気がついてこう言います。
「慶應の応援歌、『若き血』の歌唱指導をしたのは僕です。この応援歌を歌う慶應に勝つのは、簡単なことではありませんよ。」

早慶戦は二週間後で、応援部の練習時間を考えると曲の締め切りは10日後。ところが、曲作りは一向に進みません。「自分の音楽」にこだわって行き詰る裕一に、バンブーのマスターや音がアドバイスしますが、裕一は耳を貸しません。

裕一の音楽は鼻につく、西洋音楽にこだわってこざかしい知識で曲を台無しにしている、という廿日市の言葉を伝える音に、裕一は言います。
「どして自分の音楽作っちゃいげないの?自分の音楽は捨てない!捨てだら意味がない!」
裕一は自分の才能を示そうと、徹夜で交響曲「反逆の詩」を作曲し、コロンブスレコードの重鎮である小山田に見せに行きます。ところが、小山田には見向きもされませんでした。

応援歌の作曲が進まない裕一を見て、焦る応援団員の佐藤。バンブーで待機しながら、ときどき裕一の様子を見に行っています。
十人ほどの団員と一緒にバンブーに入ってきた田中は、佐藤をねぎらったあと、団員たちにミルクセーキをふるまいます。
不安になっていることを団員たちに悟られないように、わざと機嫌よくしている田中のことを、団員たちも気がついています。

そのときバンブーに入ってきたのは、慶應義塾大学応援団団長の御園生新之助(みそのうしんのすけ)。
田中を福岡の田舎から来たと見下し、挑発する御園生に、緊張した空気が漂います。そんな中、恵が言います。
「あなた、負けるわよ。だって、この人たち、底抜けのばかだから・・・。」
愚直なほどのまっすぐさが、人の心を動かすのだと恵は言うのです。
「まあいい、戦いを楽しみにしてる。」
御園生は捨てぜりふを残して、バンブーを出ていきます。

早慶戦まで三日となっても、応援歌はできあがりません。あせった早稲田の応援部の団員たちが裕一のもとに押しかけてきます。
慶應に勝つために、慶應以上の応援歌が必要だと訴える田中。その田中に、裕一は言います。
「応援歌は、勝ぢ負げに関係ありますか?早稲田が負けんのは、ただ弱いがらでしょう?自分も同じです。曲が採用されないのは、ただ力がないがらなんです・・・」

そんな裕一を見て、音は実家の豊橋に帰ってしまいます。実家には、音の姉、吟の結婚相手の鏑木が来ていました。裕一のことを相談する音に、軍人である鏑木はこう答えます。
「軍人が命を懸けて戦えるのは、誰かのためだからです。裕一さんは、どうですか?」
それを聞いた音は、応援歌にかける思いを裕一に伝えてもらうよう、田中に頼み込みます。
「あなたのために、応援歌を作ってもらうの!今の裕一さんには、心に響く言葉が必要なの!」

早慶戦の前日、音に説き伏せられた田中が古山家にやって来ます。そして、早慶戦で早稲田が負け続けても応援部を辞めなかった理由を話し始めます。

「俺は・・・九州の片田舎に生まれました・・・。」
田中は、幼いころから一緒に野球をやっていた親友に、自分のせいでけがをさせてしまいます。親友の清水は、ラジオの早慶戦を聞きながら手術の痛みに耐えましたが、けがをした足は元通りにはなりませんでした。

田中が、何かできることはないか清水に尋ねると、清水は言いました。
「早稲田勝たせてくれや。それがいちばんの楽しみやけん。」
野球をがんばる人がいる、そのラジオを聞いてがんばる人がいる。がんばることはつながる、それに気がついたから、自分は選手を応援するのだと田中は言います。

泣きながら話す田中の姿を見て、裕一も、小学校の運動会でハーモニカとみんなの応援に励まされてゴールしたことを思い出します。
「僕は・・・周りに励ましてくれる人がいるごどを忘れてました・・・。」
自分ばかり見て、周りの人のことを忘れていたことに気がついた裕一。
一気に応援歌「紺碧の空」を書き上げます。

ついに始まった早慶戦。一勝一敗で迎えた三戦目、裕一から歌唱指導を受けた「紺碧の空」が球場に響きます。とうとう、早稲田は慶應に勝利することができました。

試合が終わり、自宅裏のラーメン屋台で勝利の喜びを語り合う裕一と音。いい雰囲気になりかけたところに、田中をはじめ応援団一同が駆けつけます。
「先生のおかげで勝てました!早稲田ば救ったのは先生です!最後に、曲が採用されん先生に、エールば送りたかと思います!」
裕一と音へのエールが響きわたります。
「では、お二人へのエールを込めましてー歌います!『紺碧の空』!」

「紺碧の空」はまもなく、早稲田大学第六応援歌から第一応援歌へと昇格したのでした。

まんちゃん
まんちゃん
「紺碧の空」は、たくさんの人の心を救ったんだね・・・
ぷくちゃん
ぷくちゃん
大学野球のシーンも楽しみだね♪

最後に・・・

いかがでしたでしょうか?

昭和6年に、早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲した古関裕而さんは、昭和21年には慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」も作曲しています。
そのため、古関さんが亡くなったときには、早稲田・慶應の両大学の応援団が参列し、出棺のときにそれぞれの応援歌を歌って見送ったというエピソードがあります。
早稲田や慶應のほかにもたくさんの大学の応援歌や、小・中・高等学校の校歌を作曲した古関さん。実際に古関さん作曲の校歌を歌ったことのあるエールファンもいそうですね。
「紺碧の空」のエピソードが描かれるのは第8週からです。放送を楽しみに待ちたいと思います♪