ネタバレ

朝ドラエールの放送が終わるのはいつ?終わり方やその後ネタバレ!

NHK連続テレビ小説「エール」

新型コロナウイルスの感染拡大はテレビにも大きな影響を及ぼしました。感染拡大に伴い、ロケやテレビ番組の収録などは一時すべて中止され、4月に開始予定だった連続ドラマも開始を延期し過去のドラマの再放送などで対応されました。
収録が再開されたあとも、4月に開始予定だったドラマの多くは放送が遅れ、回数を調整するなどの対応がされています。
現在でも、ニュース番組でも出演者が間隔を空けたり、オンラインで出演するなどの対策を取りながらの放送です。

まんちゃん
まんちゃん
バラエティー番組も過去の総集編がたくさん放送されていたね
ぷくちゃん
ぷくちゃん
それはそれで新しい発見があっておもしろかったけどね(笑)

今回は新型コロナウイルス感染拡大により収録が中断していた「エール」の放送中断と再放送、再開の時期などについて詳しく調べてみましたのでお伝えします!

「エール」の放送が中断!?

NHKの連続テレビ小説や大河ドラマは民放の連続ドラマよりも放送回数が多いため、早めに収録を開始し余裕を持ったスケジュールが組まれています。
そのため、収録が中断した後もある程度のストックがあり、通常放送を続けることができましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により4月1日より収録を完全に休止しているため徐々にストックがなくなってしまうという今までにない危機に陥ってしまいました。

撮影中断前、「エール」が収録されていたのは6月末~7月初めまでの放送回まで。撮影が中断されたことで、7月には放送可能なストックが底をついてしまうことが明らかになりました。
ですが、多くのスタッフや出演者が長時間密閉空間にいることになるドラマの収録をすぐに開始することは難しく、仕方のない状況だったとも言えます。

その後、「エール」の中断がNHKから正式に発表されました。収録済みである第13週の6月27日までは放送し、6月29日の第14週分から放送が中断となりました。
そして、中断中は第1回から再放送されることも決まりました。(お昼の放送も朝と同じ放送回の再放送です。)
収録は6月16日に、感染防止対策をしながら再スタートしました!

過去、朝ドラの中断は「おしん」で田中裕子さんが体調を崩して1週間の中断・東日本大震災の影響で「てっぱん」が1週間中断の2回あります。しかし、どちらも1週間と短期間の中断だったため大きな影響は出ませんでした。

まんちゃん
まんちゃん
大河ドラマも朝ドラも中断されてしまったね…。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
民放のドラマもスケジュールが乱れて、ドラマ好きの人にはつらい日々だったね…。

再放送のお楽しみ、副音声♪

そして始まった、第1回からの再放送。もう一度見直したことで、一度目に見たときには気づかなかった新しい発見をした朝ドラファンもたくさんいたようですね。

一度目の放送では、月~金までの5回が本編、土曜日は「朝ドラおじさん」ことバナナマンの日村勇紀さんのナビゲートによる一週間のおさらいでした。
ですが、再放送では土曜日も本編が放送されるので、週6回、本編が放送されます。そのため、一週間に1回ずつずれていくことになりました。

また、再放送では出演者による解説放送(副音声)がつくことも話題になりました。裕一や音に近い人たちからのバラエティ豊かな副音声が、また新しい楽しみになりました。♪

副音声を担当したキャラクターたち♪

  • 再放送1週目 佐藤久志(山崎育三郎さん)
  • 再放送2週目 関内吟(松井玲奈さん)
  • 再放送3週目 藤堂清晴(森山直太朗さん)
  • 再放送4週目 御手洗清太郎(古川雄大さん)
  • 再放送5週目 村野鉄男(中村蒼さん)
  • 再放送6週目 梶取保(野間口徹さん)
  • 再放送7週目 古山まさ(菊池桃子さん)
  • 再放送8週目 関内梅(森七菜さん)
  • 再放送9週目 菊池昌子(堀内敬子さん)
  • 再放送10週目 梶取恵(仲里依紗さん)
  • 再放送11週目 落合吾郎(相島一之さん)
まんちゃん
まんちゃん
どのキャラクターも個性的でおもしろかったよね~
ぷくちゃん
ぷくちゃん
副音声の最後にとうとう「ジーニアス御手洗」になってしまったミュージックティーチャー御手洗が好き♪

いよいよ放送再開!

2020年8月17日、待っていたニュースが!「エール」の放送再開が発表されました!
放送再開は、9月14日(月)、第14週「弟子の恋」からです。
本編の再放送は9月11日(金)までで、9月12日(土)には特別編が放送されます。

特別編のタイトルは、『いよいよ来週から!連続テレビ小説「エール」再開SP』。
裕一・音夫婦を演じる、窪田正孝さん・二階堂ふみさんの対談あり、「朝ドラおじさん」日村勇紀さんの登場ありと、スペシャルな内容になっています。
第14週からの見どころや、「エール」に出てくる名曲のエピソード紹介などもあり、こちらも楽しみですね♪

まんちゃん
まんちゃん
待ってました!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
朝ドラおじさんも久しぶり、楽しみ~♪

「エール」放送日程について、公式発表があったので追記します!

トータルで10回、放送回数が減ることになりますね。回数は減りますが、最後まで完走することができそうで楽しみですね♪

放送中断後の展開をネタバレ!.

放送中断前後、13~14週の展開をご紹介したいと思います♪

第13週 「スター発掘オーディション」


昭和5年。裕一がコロンブスレコードと契約してから5年の歳月が過ぎ、裕一は安定した作曲家生活を送っていました。鉄男は屋台をやりながら諦めずに作詞家を目指しています。久志もまたオペラ歌手としてデビューできずにいました。

そんな時、コロンブスレコードの新人歌手募集に久志が応募することになります。合格者は裕一の作曲した曲でデビューすることが出来ます!久志は、裕一と鉄男に歌手になろうと思ったきっかけが藤堂に「君、いい声しているよ!」と褒められたことがきっかけだったことを話します。

数日後、同じくコロンブスレコードの新人歌手募集に応募した御手洗が上京してきます。お互いをライバル視する「スター御手洗」と「プリンス佐藤久志」…。そして、とうとうオーディションの日がやって来ます。

応募者のレベルはとても高く裕一はとても驚きます。合格したのは、寅田熊次郎という帝都ラジオの会長を父に持つ青年でした。納得がいかない御手洗と久志は抗議をすると、プロデューサーの廿日市は久志に目をつけており、「君、ちょっと残って。研究生として契約してやっから。」と言います。

廿日市は、親の威光で選ばれた熊田だけでは物足りないと上層部に掛け合ってくれたのです。最初は新人の雑用だと聞いて断ろうとする久志ですが、御手洗の「あなたは選ばれたの!選ばれた以上、輝かなきゃ!」という言葉に背中を押されるのでした。

まんちゃん
まんちゃん
「スター御手洗」と「プリンス久志」の対面(笑)
ぷくちゃん
ぷくちゃん
これは面白くなりそうだね!!

第14週 「弟子の恋」

裕一の家に突然ひとりの青年がやって来て弟子入りを志願します!「僕を弟子にしてくれねぇでしょうか?」。青年の名前は田ノ上五郎。五郎も裕一と同じように音楽を独学で勉強していました。自分は弟子をとるような立場ではないと断る裕一でしたが、五郎の熱意に負けて弟子にすることを決めます。

五郎が裕一の弟子入りをしたその日に梅が豊橋からやって来ます。念願の文芸賞を取った梅は古山家に居候して東京で執筆活動をしようと考えて来たのです。しかし、五郎のふるまいが何かと気になる梅は筆が全く進みません…。

数日後、梅は新人賞受賞式で梅より先に作家デビューした幼馴染みの幸文子と再会します。文子は梅に対して対抗心をむき出しにしてきます。文子との写真をためらう梅に出版社の社員は「写真を嫌がっては困ります。かわいさも売りですから。」と話し、梅はその言葉に失望を感じるのでした。

その後、梅は執筆が進まず五郎も作曲に行き詰まっていました。お互いの悩みや葛藤を話し、ぶつかり合いながらも親交を深める梅と五郎。そして、ある日神社で落ち込んでいる五郎を見かけた梅は「五郎さんはダメなんかじゃない!ただのダメな人を好きにならんもん!」と想いを告白します。

思わず告白した梅は、それから文章が溢れるように出てくるようになります。しかし、一方の五郎は裕一に弟子を辞めると告げて古山家を去ってしまうことに…。その事を知った梅は涙がこぼれます。そして、大きな決断をする梅。

梅は路地裏で生活していた五郎を探しだし、「私、五郎ちゃんの居場所見つけたから。豊橋、一緒に行こう、ね。」と話します。そして1ヶ月後、梅の2冊目の著者が出版されました。五郎は一人前の馬具職人技になって梅と結婚するために修行に励むのでした。

まんちゃん
まんちゃん
田ノ上五郎を演じるのは、お笑いトリオ「ハナコ」の岡部大さん。楽しみだね♪
ぷくちゃん
ぷくちゃん
これはびっくりする展開だね!早く見たいな~。

終わり方やその後は?実在モデル古関裕而の生涯を元に推察

名前:古関裕而(こせきゆうじ)
本名:古關勇治(こせきゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
出身:福島県福島市
職業:作曲家
ジャンル:応援歌・軍歌・歌謡曲
家族:古関金子(妻)、古関正裕(長男)

古関裕而さんの幼少期

1909(明治42)年8月11日、福島県福島市大町の呉服店「喜多三」に生まれた古関裕而さん!両親は、父・三郎次さん、母・ヒサさんです!音楽好きの父親が、蓄音機でレコードをいつもかけていたので、蓄音機が奏でるレコードの音色を聴いて育ちました。そんな古関裕而さんは、独学で作曲の道を志していくことに。

まんちゃん
まんちゃん
母・ヒサさんの実家は、福島県有数の資産家・川俣の武藤家なんだって!

楽しそうに聴いている息子の姿を見た母親が、小さなピアノを購入すると古関裕而さんは、喜んで夢中でピアノに向かいます。弾いているうちに音符の意味がわかるようになり、小学校を卒業する頃には、楽譜が読めるようになっていました。

古関裕而さんの青年期

1916年(大正5年)、7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学。
10歳の頃には楽譜が読めるようになり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになります。作曲に夢中になった古関裕而さんのもとには、クラスメイトが詩を持って作曲を依頼してくるようになりました。


1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学します。家業を継ぐために商業高校に通いますが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中でした。この頃も、妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学で作曲法の勉強を続けています。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
実家の呉服店「喜多三」が倒産!

学校を卒業する頃、福島ハーモニカ・ソサエティーに入団(当時、日本でも有数のハーモニカバンドでした)します!古関裕而さんは作曲・編曲・指揮を担当して、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていました。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い衝撃を受けます。

1927年(昭和2年)18歳の頃に、ペンネームを「古関裕而」にします。ラジオが大好きだった古関裕而さんは、福島商業学校時代に楽治雄(らじお)というペンネームも使用していました。

卒業後は、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰さんの事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りをします。

1929年(昭和4年)、古関裕而さんが作曲した管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』が、ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールで2位に入賞しました。

まんちゃん
まんちゃん
日本人初の受賞だよ!

コロムビア専属に・・・

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豊橋市がこんな#プロモーション事業 を行っているそうです👇 ——————————————————– 豊橋市は福島市と連携してNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)の誘致を進めています。 東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年4月からの朝ドラで、福島市出身の作曲家・古関裕而さんと豊橋市出身の妻・金子さんを主人公に夫妻の人生を描く物語の放映を目指します。 ネットからも署名ができます。ご協力をお願いいたします! #古関裕而 #古関金子 #NHK朝ドラ #誘致 #豊橋市 #福島市 #クラストコ #古関裕而さんの代表曲 ・#1964年 #東京オリンピック #行進曲「#オリンピック・マーチ 」 ・全国高等学校野球選手権大会歌「#栄冠は君に輝く 」 ・阪神タイガース応援歌「#阪神タイガースの歌 (#六甲おろし )」 ・読売ジャイアンツ球団歌「#巨人軍の歌 」 ・早稲田大学応援歌「#紺碧の空 」 ・慶應義塾大学応援歌「#我ぞ覇者 」 ・映画モスラ劇中歌「#モスラの歌 」など もし誘致できたら豊橋市でも撮影するのかな?なんて、ミーハーなこと考えてしまいました😁

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翌年、21歳になった古関裕而さんは結婚し、著名な音楽家・山田耕筰さんの推薦により日本コロムビアに入社しました。はじめてのレコードは『福島行進曲』です。1931(昭和6)年には、早稲田大学応援歌『紺碧の空』を作曲しました。同年9月、コロムビアの顧問山田耕筰さんの推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京します。東京では菅原明朗さんに師事しました。

しかし実家が破綻してからは一族を養うため、クラシックの作曲から離れることに・・・。東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があります。また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲しました。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
古関裕而さんが、養っていたんだね!

1935年(昭和10年)、古関裕而さん26歳の時に『船頭可愛や』(詩:高橋掬太郎・唄:音丸)ヒット!この頃、声楽家志望だった妻・金子さんは帝国音楽学校へすすんでいました。

古関裕而さんの戦中から戦後

1936年(昭和11年)、『大阪(阪神)タイガースの歌/通称・六甲おろし』を作曲!※現在のプロ野球12球団のなかで最も古い球団歌です。

そして1937年(昭和12年)に発表された古関裕而さん作曲の『露営の歌』は、60万枚を記録しました。1938年(昭和13年)、中支派遣軍報道部の依頼により、従軍音楽部隊として上海・南京を訪れます。

1940年(昭和15年)には『暁に祈る』を発表!古関裕而さんが作曲した軍歌で、最もヒットした曲です。翌年は『海の進軍』が発表されました。

まんちゃん
まんちゃん
作曲時は、古関裕而さん自身が悲惨な体験や目撃したことを結びつけたって!

1942年(昭和17年)、南方慰問団派遣員として、シンガポール・ビルマ(現在のミャンマー)で慰問に従事します。1943年(昭和18年)の『若鷲の歌』は映画でも歌われ大ヒットしました。1944年(昭和19年)に『ラバウル海軍航空隊』を発表し、さらにビルマへ赴き『ビルマ派遣軍の歌』を作曲しました。

作曲した軍歌は、軍の委嘱による師団歌や連隊歌ではなく、軍国歌謡・戦時歌謡・銃後歌謡でしたが、その曲数は100近くにのぼった(戦後GHQによって廃棄させられた楽譜もあるため、正確な数は不明)そうです!

1945(昭和20)年8月15日、戦争が終わりました。
戦後は、暗く不安な日本を音楽で明るくするための活動に力を注ぎます!

  • 長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌『長崎の鐘』
  • 戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』
  • 1964年、東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』
  • 現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』

他にも『フランチェスカの鐘』『君の名は』『高原列車は行く』など、次から次へと古関裕而さんの明るい曲・元気な曲・勇壮な曲が発表されました!

オリンピック・マーチは、アジアで初めて開かれるオリンピックに世界の多くの若人が集まる瞬間を、2人でイメージして作ったと言われています。

その後、劇作家の菊田一夫さんとコンビを組んで、数々のラジオドラマ・テレビドラマ・映画・演劇・ミュージカルのヒット作品を世に送り出します。1961年に菊田さんと手がけた、森光子さん主演の「放浪記」は長期公演舞台となりました。菊田さんと共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいます。

古関裕而さんの晩年

  • 1973年(昭和48年)長年コンビを組んだ菊田一夫さんが逝去。
  • 1979年(昭和54年)勲三等瑞宝章受賞。レコード大賞特別賞受賞。
  • 1980年(昭和55年)妻・金子さん死去。
  • 1986年(昭和61年)作曲生活から引退。
  • 1987年(昭和63年)「日曜名作座」を3人で30年間続けた業績に対し、森繁久彌、加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞受賞。

フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』が開始された1972年10月から、初代司会者の萩本欽一さんが降板する1984年6月24日まで、審査員として務めていました。

まんちゃん
まんちゃん
1977年に「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待されたよ!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
母校が勝って、自身が作曲した校歌聴けたんだって♪

福島県福島市最初の名誉市民ということで、同地には1988年11月12日に「福島市古関裕而記念館」も建てられています。この頃、古関裕而さんはすでに入院生活を送っていたため、足を運ぶことは出来ませんでした!

半寿の誕生日から1週間足らずの、1989年(平成元年)8月18日午後9時30分に脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で死去(享年80歳)しました

家系図は?

妻・古関(旧姓内山)金子さん

金子さんは、明治45年に愛知県豊橋市で生まれました。音楽好きだった金子さんは、高等女学校に進み、将来は声楽家になりたいと考えていました。

「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という新聞記事を読み、内山金子(きんこ)さんがファンレターを送りました。古関裕而さんとは4ヶ月ほど文通のやりとりをし、互いに恋心が芽生えます!豊橋まで会いに行った、古関裕而さんと一緒に福島に行き、そのまま結婚しました。

1930年(昭和5年)の秋に、日本コロムビアから招かれ、古関裕而さんと金子さんは上京。
阿佐ヶ谷にあった、金子さんのお姉さんの家でしばらく暮らしたあと、世田谷代田に家を構えます。

その後、帝国音楽学校で本格的に声楽の勉強を始めた金子さんですが、その才能は中山晋平さんにも絶賛されていました!

しかし戦後に長男が生まれ、子育てに専念するため声楽は辞めています。そして1980年7月23日に、乳ガンが全身に転移して、68歳で亡くなりました。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
声楽は辞めたけど、家では毎日歌っていたんだって!

長男・正裕さん

1946年(昭和21年)、古関裕而さんと金子さんの長男として東京で生まれました。

高校・大学在学中は、学生カントリー・バンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」のキーボード、(財)MRAのシングアウト活動「Let’s Go」のミュージカル・ディレクターなどの音楽活動をします。

大学卒業後は、日本経済新聞社に就職しました。データベース・システム、オンライン情報サービス・システムの開発などに携わりますが、早期退職(定年扱)します。その後は、青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説「緋色のラプソディー」を執筆し出版!

父・古関裕而さんの生誕100年記念CD全集の企画・監修2009年日本レコード大賞企画賞を受賞します。2013年には、鈴木聖子さん・齊藤早苗さんと共にライブユニット「喜多三」を立ち上げました。

歌や演奏だけではなく、楽曲の紹介や曲にまつわるエピソードなどのトーク・ライブも行い、都内のホールやライブハウスを中心に活動しています。

正裕さんにとっては、過干渉な過保護の母で、しょっちゅう反発していたそうです!次第に、うまく対処することを覚え、金子さんの意見や小言は適当に「ハイハイ」と聞き流すようになります。金子さんは、正裕さんは素直で良い子だと思っていたようです。

正裕さんは、結婚して子供も生まれているようですが、詳しい情報がありませんでした。分かり次第、追記します!

長女・雅子さんと次女・紀子さん

2020年4月30日放送の「あさイチ」に、古関裕而さん・金子さんの長女の雅子さん(88歳)が電話で出演。近江アナウンサーのインタビューに答え、戦争中でも明るい太陽のようだった母・金子さんの思い出を語っていました。

そのときに紹介された家族写真には、古関裕而さん・金子さん夫妻を中心に、二人の少女(一人は雅子さん、20歳くらい?)と男の子一人の五人が写っていました。
古関さん夫妻には、現在74歳の長男、古関正裕さんがいますので、男の子がその正裕さんだと思われます。
もう一人、雅子さんと正裕さんの間の年齢になる少女が、次女の紀子(みちこ)さんだと思われます。

先日、NHKで古関裕而さんを特集した番組が放送され、その中で、1983年に放送された「この人『古関裕而ショー』~いとしきはわが調べ 激動の昭和を生きて~」の一場面が紹介され、紀子さんが出演していました。
紀子さんが、結婚するときに父親の古関裕而さんからもらった手紙を読み上げて、それを聞いていた当時73歳の裕而さんが涙ぐんでいる様子が印象的でした。

最後に

いかがだったでしょうか?

現在、世界的に流行している新型コロナウイルスで人々の生活に多大な影響が出ています。テレビドラマの収録も一時はすべてストップし、4月期連続ドラマの放送も多くの作品が延期されたり、放送回数を減らしたりされました。

「エール」も例外ではなく、再開は決まりましたが放送中断という事態に見舞われました。このウイルスとの戦いは長期戦になることも予想されており、人々の生活習慣を変えて行かなければならないという意見もでているほどです。少しでも早くワクチンや治療薬が開発され、このウイルスが1日でも早く終息してくれることを祈るばかりです。