エール

エール古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而は昭和天皇との関係が!?

NHK連続テレビ小説第102作目「エール」。
今回、私がエールで注目したのが古山裕一(こやまゆういち)役の窪田正孝さん。

俳優としてドラマや映画で活躍している窪田正孝さん。
2006年に芸能活動を始め、以来様々なドラマや映画に出演しています。
国内の映画祭やドラマアワードで賞も受賞している経歴を持ち、幅広い役柄を演じることができる実力派俳優として知られています。
2019年に女優の水川あさみさんと結婚を発表して話題にもなりました。

まんちゃん
まんちゃん
アニメの実写版作品にもたくさん出てるよね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
お似合いの夫婦だよね!

窪田正孝さんは今回エールで3回目の朝ドラ出演です。今までどんな俳優人生を送ってきたのかプロフィールや出演作品などを詳しくご紹介します♪

窪田正孝が演じる古山裕一(こやまゆういち)ってどんな役?

【第1週・初めてのエール】

明治42年8月、福島市の老舗呉服店「喜多一」(きたいち)四代目店主の長男として生まれた古山裕一は心優しいが内気で、学校でもいじめられがちな性格。
いじめられて傷を作って帰った日に、父親から新しく買った舶来品のレコードを効かないかと誘われるが裕一は興味を持たなかったが、レコードから流れる「威風堂々」のメロディーに裕一は心を奪われます。
運動が苦手な裕一は運動会の徒競走で転んで起き上がれなくなります。するとハーモニカの音色とともに会場中に手拍子が広がり、裕一は立ち上がり音楽に包まれながらゴールします。これが人生で初めて自分へ向けてのエールでした。
小学5年生になり、担任で音楽教師の藤堂先生から作曲の課題が与えられます。父親から五線紙と作曲の教本を渡され読むもどうすればいいかわからないまま。その時、藤堂先生の言葉を思い出し、学校のオルガンを鳴らしたところ閃いたかのように音符を書きはじめます。藤堂先生はその曲を見て驚愕し、裕一は自身の才能に気付きます。

【第2週・運命のかぐや姫】

豊橋で陸軍向けの馬具の製作販売している関内家は5人家族で、三姉妹の真ん中の音は11歳。
学芸会で「竹取物語」の演目をクラスですることになります。音は主役のかぐや姫を演じたかったが役に選ばれず落ち込みます。落ち込んでいた音は教会でオペラ歌手の双浦環(ふたうらたまき)が歌っているのを見て心を奪われ、父親の安隆に歌を習いたいと告げます。
ある日、安隆は事故で亡くなってしまいます。母親の光子が商売を続けようとするが取引先から契約切れをちらつかされ、職人も去ってしまう危機に家族で乗り越えようとします。

【第3週・いばらの道】

大正15年、裕一は商業高校に通いハーモニカ倶楽部に所属し独学で音楽を勉強続けていたところ、定期演奏会でメンバーの自作した曲から選んだ作品を演奏することになり、裕一は作曲に励みます。
ある日裕一は「喜多一」を弟の浩二に継がせ、裕一の夢を応援すると言われます。だが、不況の影響で経営が傾き、裕一は夢を諦めることになってしまいます。
高校卒業後に「川俣銀行」に勤めていた裕一は同僚の誘いでダンスホールである女性に出逢い恋に落ちます。

【第4週・君ははるか】

1年後銀行員として働いていた裕一の元に「国際作曲コンクール」に挑戦しないかという話しが舞い込んできます。長く音楽から離れていたためなかなか曲ができずにいた裕一は友人のヒントからメロディーが湧いてきます。そして、裕一は今回のこれを区切りに音楽に分かれを告げる決心をします。
一方、歌手を夢見る音は御手洗清太郎の下で声楽を学んでいました。そして、あることをきっかけに裕一と文通でつながります。さらに裕一は夢への道が開かれるが、現実と夢の間で家族も巻き込み、自身の恋心も揺れ動きます。

【第5週・愛の狂騒曲】

豊橋の関内家に突然裕一が訪問してきます。翌日、音は裕一に思い出の地を案内し、二人は距離を縮めていきます。そして、裕一のことを聞いた興行師の鶴亀寅吉から裕一に演奏会の話しを持ち出され、演奏会を行うことに。
しかし、音の母親の光子と福島から裕一を探しに豊橋まできた裕一の父親の三郎は二人を別れさせようとします。

【第6週・ふたりの決意】

福島に戻った裕一は音と一緒になることに反対する家族の気持ちを知り気持ちが揺れます。そして、音楽の夢を打ち破る知らせが裕一に届きます。
音は裕一が音楽の道を諦めることを知ります。どうしても裕一に夢を諦めてほしくない音は、東京のレコード会社に裕一を売り込みます。そして、裕一は東京に向かう決意をします。

【第7週・夢の新婚生活】

周囲の反対を押し切り上京した裕一は音との新婚生活をスタートさせ、レコード会社と専属契約も交わします。音は音楽学校に入学をします。多くの曲を作曲するが一つも採用されず、同期の木枯正人(こがらしまさと)の曲がレコードにあると聞き裕一は焦ります。そして、裕一は音の上級生であり幼馴染の佐藤久志と再開を果たします。
なかなか曲が採用されない裕一にレコード会社から二年目の契約金の減額が言い渡されてしまいます。そして、音は音楽学校の記念公演で主役の選考を受けることになります。

【第8週・紺碧の空】

裕一の元に早稲田大学応援部の田中隆が訪れます。早慶戦で慶応義塾大学に連敗中の早稲田大学のために新しい応援歌を作曲してほしいという依頼でした。締め切りまで10日後。しかし、裕一は一向に曲が書けず諦めてしまいます。音はそんな裕一を見て行動を起こします。

【第9週・福島行進曲】

音楽学校の記念公演の二次審査が行われ、審査員席には音が憧れる双浦環の姿もあります。音は最終選考まで残りますが、環から厳しいことばを受け落ち込みます。そして、演目の「椿姫」の世界を理解するためにカフェーで女給として働きます。
カフェーに来店した鉄男はかつての恋人の菜穂子と再会します。その再会から鉄男は詩を書き上げた「福島行進曲」を裕一と久志に見せます。そして、音は記念公演の最終選考を受けます。

【第10週・ふたりの夢】

仕事を辞め鉄男が上京してきます。裕一は同僚の木枯から高梨一太郎の詩に曲をつけてほしいという依頼を受けます。そして、レコード会社からこれが最後のチャンスだと言い渡されます。
音は記念公演に向けて呼吸法や体力作りに取り組みます。しかし、地道な特訓をしている最中あることが判明し、周囲からも舞台に立つことも反対されてしまいます。

【第11週・故郷の歌】

裕一と音の間に娘の華が生まれ、4歳になります。裕一に小学校の担任だった藤堂から校歌を作曲してほしいと手紙が届き、同時に母親からも手紙が届き家族3人で故郷の福島に行くことにします。
福島に戻った夜には元同僚やハーモニカ倶楽部、喜多一の元従業員などが集まり宴会が開かれます。裕一と浩二のわだかまりは癒えぬまま、音は三郎の体調の異変に気づきます。

【第12週・あの世、パリ、神田】

ある日、音の元に亡き父親の安隆が白装束に三角頭巾を着けた姿で現れます。そして、残した娘三人と妻・光子のもとに向かいます。
大正2年、若き日の双浦環が歌手を目指して舞台の本場のパリにやってきます。そこである男と出会います。彼女の知られていない過去が描かれます。
裕一たちは喫茶店「バンブー」の保と妻の恵のなれ初めを聞きます。二人が一緒になったきっかけと現在の裕一と音につながる過去に驚きます。

【第13週・新人歌手は誰だ】

昭和11年、裕一は球団歌やご当地ソングを手掛け安定した生活を送っています。音楽学校を卒業した久志だが、オペラ歌手としてデビューできずにいました。そこで、裕一はレコード会社の新人歌手募集に応募することを勧めます。
時同じく、豊橋から音の声楽の先生であった御手洗が新人歌手募集に応募する上京します。久志は御手洗はライバルとなります。そして、裕一の元に田ノ上五郎が訪ねてきます。

【第14週・弟子の恋】

田ノ上五郎は裕一と同じように独学で音楽を学んできて、裕一の弟子になるために上京をしてきました。音の妹の梅が作家としての執筆活動のため古山家に居候することになります。
梅は自分の目指した世界に少し絶望し、五郎も自分の才能のなさに悩みます。やがて二人に心を通わせる展開が待ち受けます。

まんちゃん
まんちゃん
前半のストーリーだけでも盛りだくさんの内容だね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
色んな人の人生があって楽しみー!

実在モデル・古関裕而さんの生涯

名前:古関裕而(こせきゆうじ)
本名:古關勇治(こせきゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
出身:福島県福島市
職業:作曲家
ジャンル:応援歌・軍歌・歌謡曲
家族:古関金子(妻)、古関正裕(長男)

古関裕而さんの幼少期

1909(明治42)年8月11日、福島県福島市大町の呉服店「喜多三」に生まれた古関裕而さん!両親は、父・三郎次さん、母・ヒサさんです!音楽好きの父親が、蓄音機でレコードをいつもかけていたので、蓄音機が奏でるレコードの音色を聴いて育ちました。そんな古関裕而さんは、独学で作曲の道を志していくことに。

まんちゃん
まんちゃん
母・ヒサさんの実家は、福島県有数の資産家・川俣の武藤家なんだって!

楽しそうに聴いている息子の姿を見た母親が、小さなピアノを購入すると古関裕而さんは、喜んで夢中でピアノに向かいます。弾いているうちに音符の意味がわかるようになり、小学校を卒業する頃には、楽譜が読めるようになっていました。

古関裕而さんの青年期

1916年(大正5年)、7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学。
10歳の頃には楽譜が読めるようになり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになります。作曲に夢中になった古関裕而さんのもとには、クラスメイトが詩を持って作曲を依頼してくるようになりました。


1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学します。家業を継ぐために商業高校に通いますが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中でした。この頃も、妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学で作曲法の勉強を続けています。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
実家の呉服店「喜多三」が倒産!

学校を卒業する頃、福島ハーモニカ・ソサエティーに入団(当時、日本でも有数のハーモニカバンドでした)します!古関裕而さんは作曲・編曲・指揮を担当して、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていました。ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い衝撃を受けます。

1927年(昭和2年)18歳の頃に、ペンネームを「古関裕而」にします。ラジオが大好きだった古関裕而さんは、福島商業学校時代に楽治雄(らじお)というペンネームも使用していました。

前年に即位した昭和天皇の名前が「裕仁」(ひろひと)であったため、世間では名前に「裕」の漢字を使用するのが遠慮されていました。古関裕而さんは「裕」と「而」の漢字の組み合わせを好んでこのペンネームにしたと説明しています。真意はわかりませんが、昭和2年から古関裕而という名前を使い始めたので、昭和天皇の名前から字を拝領しているのではないかとも言われています。

卒業後は、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰さんの事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りをします。

1929年(昭和4年)、古関裕而さんが作曲した管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』が、ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールで2位に入賞しました。

まんちゃん
まんちゃん
日本人初の受賞だよ!

コロムビア専属に・・・

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豊橋市がこんな#プロモーション事業 を行っているそうです👇 ——————————————————– 豊橋市は福島市と連携してNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)の誘致を進めています。 東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年4月からの朝ドラで、福島市出身の作曲家・古関裕而さんと豊橋市出身の妻・金子さんを主人公に夫妻の人生を描く物語の放映を目指します。 ネットからも署名ができます。ご協力をお願いいたします! #古関裕而 #古関金子 #NHK朝ドラ #誘致 #豊橋市 #福島市 #クラストコ #古関裕而さんの代表曲 ・#1964年 #東京オリンピック #行進曲「#オリンピック・マーチ 」 ・全国高等学校野球選手権大会歌「#栄冠は君に輝く 」 ・阪神タイガース応援歌「#阪神タイガースの歌 (#六甲おろし )」 ・読売ジャイアンツ球団歌「#巨人軍の歌 」 ・早稲田大学応援歌「#紺碧の空 」 ・慶應義塾大学応援歌「#我ぞ覇者 」 ・映画モスラ劇中歌「#モスラの歌 」など もし誘致できたら豊橋市でも撮影するのかな?なんて、ミーハーなこと考えてしまいました😁

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翌年、21歳になった古関裕而さんは結婚し、著名な音楽家・山田耕筰さんの推薦により日本コロムビアに入社しました。はじめてのレコードは『福島行進曲』です。1931(昭和6)年には、早稲田大学応援歌『紺碧の空』を作曲しました。同年9月、コロムビアの顧問山田耕筰さんの推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京します。東京では菅原明朗さんに師事しました。

しかし実家が破綻してからは一族を養うため、クラシックの作曲から離れることに・・・。東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があります。また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲しました。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
古関裕而さんが、養っていたんだね!

1935年(昭和10年)、古関裕而さん26歳の時に『船頭可愛や』(詩:高橋掬太郎・唄:音丸)ヒット!この頃、声楽家志望だった妻・金子さんは帝国音楽学校へすすんでいました。

古関裕而さんの戦中から戦後

1936年(昭和11年)、『大阪(阪神)タイガースの歌/通称・六甲おろし』を作曲!※現在のプロ野球12球団のなかで最も古い球団歌です。

そして1937年(昭和12年)に発表された古関裕而さん作曲の『露営の歌』は、60万枚を記録しました。1938年(昭和13年)、中支派遣軍報道部の依頼により、従軍音楽部隊として上海・南京を訪れます。

1940年(昭和15年)には『暁に祈る』を発表!古関裕而さんが作曲した軍歌で、最もヒットした曲です。翌年は『海の進軍』が発表されました。

まんちゃん
まんちゃん
作曲時は、古関裕而さん自身が悲惨な体験や目撃したことを結びつけたって!

1942年(昭和17年)、南方慰問団派遣員として、シンガポール・ビルマ(現在のミャンマー)で慰問に従事します。1943年(昭和18年)の『若鷲の歌』は映画でも歌われ大ヒットしました。1944年(昭和19年)に『ラバウル海軍航空隊』を発表し、さらにビルマへ赴き『ビルマ派遣軍の歌』を作曲しました。

作曲した軍歌は、軍の委嘱による師団歌や連隊歌ではなく、軍国歌謡・戦時歌謡・銃後歌謡でしたが、その曲数は100近くにのぼった(戦後GHQによって廃棄させられた楽譜もあるため、正確な数は不明)そうです!

1945(昭和20)年8月15日、戦争が終わりました。
戦後は、暗く不安な日本を音楽で明るくするための活動に力を注ぎます!

  • 長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌『長崎の鐘』
  • 戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』
  • 1964年、東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』
  • 現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』

他にも『フランチェスカの鐘』『君の名は』『高原列車は行く』など、次から次へと古関裕而さんの明るい曲・元気な曲・勇壮な曲が発表されました!

オリンピック・マーチは、アジアで初めて開かれるオリンピックに世界の多くの若人が集まる瞬間を、2人でイメージして作ったと言われています。

その後、劇作家の菊田一夫さんとコンビを組んで、数々のラジオドラマ・テレビドラマ・映画・演劇・ミュージカルのヒット作品を世に送り出します。1961年に菊田さんと手がけた、森光子さん主演の「放浪記」は長期公演舞台となりました。菊田さんと共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいます。

古関裕而さんの晩年

  • 1973年(昭和48年)長年コンビを組んだ菊田一夫さんが逝去。
  • 1979年(昭和54年)勲三等瑞宝章受賞。レコード大賞特別賞受賞。
  • 1980年(昭和55年)妻・金子さん死去。
  • 1986年(昭和61年)作曲生活から引退。
  • 1987年(昭和63年)「日曜名作座」を3人で30年間続けた業績に対し、森繁久彌、加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞受賞。

フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』が開始された1972年10月から、初代司会者の萩本欽一さんが降板する1984年6月24日まで、審査員として務めていました。

まんちゃん
まんちゃん
1977年に「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待されたよ!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
母校が勝って、自身が作曲した校歌聴けたんだって♪

福島県福島市最初の名誉市民ということで、同地には1988年11月12日に「福島市古関裕而記念館」も建てられています。この頃、古関裕而さんはすでに入院生活を送っていたため、足を運ぶことは出来ませんでした!

半寿の誕生日から1週間足らずの、1989年(平成元年)8月18日午後9時30分に脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で死去(享年80歳)しました

実在モデルについて

代表作に1964年の東京オリンピックの開会式で流れた「オリンピック・マーチ」や甲子園のテーマ曲「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「六甲おろし」などがあります。
また、長崎の原爆で被爆した永井隆さんの随筆を元に作曲した「長崎の鐘」は昭和24年7月に発表され、大ヒットします。
歌手の美輪明宏さんは「長崎の鐘」に思い入れがあると語っています。実は、美輪明宏さんは10歳の時に被爆地から4キロのところに住んでいて原爆から逃れたという被爆体験をしています。そして、「長崎の鐘」を書いた永井隆さんの長男の永井誠一さんと中学の同級生でした。そのため、被爆した永井隆さんのお見舞いにも行ったことがあり、「長崎の鐘」はその頃を思い出す曲だそうです。

晩年は音楽番組の司会を務めるなどし、1989年に脳梗塞のため80歳でなくなりました。
1969年に紫綬褒章、1979年に勲三等瑞宝章を受賞するなど近代に日本のマーチ作曲者の代表的な存在とされています。

まんちゃん
まんちゃん
甲子園のテーマ好きだなー!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
今回で初めて知った人だけどスゴイお方だね!

窪田正孝のプロフィール♪

名前:窪田正孝(くぼたまさたか)

誕生日:1988年8月6日

血液型:B型

出身地:神奈川県

身長:175cm

所属事務所:スターダストプロモーション

窪田正孝が芸能界に入ったきっかけは?

窪田正孝さんは2006年4月に放送されたフジテレビ系で放送された深夜ドラマ「チェケラッチョ!!in TOKYO」で初主演を務め俳優デビューを果たしました。
元々、芸能界には興味がなかったそうで、車の整備士を目指し工業高校に通っていました。高校1年生の時に、オーディション情報誌に掲載されていたスターダストプロモーションのオーディションに母親の勧めで募集し、合格をし事務所に所属しました。最初はダンスユニットとして活動をし、後に俳優としてデビューしました。
初のドラマ出演で主演を務めましたが、その後はオーディションで落ち続ける苦労もしてきたみたいです。

まんちゃん
まんちゃん
いきなり主演はスゴイね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
芸歴は意外に長いんだ!

窪田正孝の代表作を紹介

ここで窪田正孝さんの代表作を紹介します。

THE LAST COP/ラストコップ


1985年に刑事の京極浩介が凶悪犯を追っている最中に爆発に巻き込まれ、昏睡状態。30年後に目覚め復職するが時代取り残された価値観や知識のまま周囲を困らせながらも事件を解決する。
窪田正孝さんは京極とバディーを組む若手刑事役を熱演しています。

まんちゃん
まんちゃん
唐沢寿明とのコンビは最高だったね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
エールでも共演してるの嬉しい!

東京喰種トーキョーグール


累計発行部数が全世界で4000万部を越える大人気漫画の実写版映画。
東京を舞台に、人間の姿をした人肉を食べる生き物「喰種」(グール)をテーマにしたダーク・ファンタジー。
喰種に襲われ半喰種になってしまう主人公の金木研を演じています。

まんちゃん
まんちゃん
アクション満載で見応えあるよね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
この作品で一気に知名度が上がったねー!

僕たちがやりました


ごく平凡な日常を送っていた高校生たちが、人の命を奪ってしまったことから、普通の人生ではなくなってしまう青春逃亡劇。人間の本性や本質を描いた作品。
窪田正孝さんは主人公の増渕トビオを演じました。

まんちゃん
まんちゃん
鬼気迫る演技力だったよね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
このドラマがきっかけで水川あさみと交際始めたんだってー!

窪田正孝の演技の評価まとめ!

次は演技の評価を紹介します。ここでは下手な意見と上手な意見をまとめてみました。

下手な意見

まんちゃん
まんちゃん
あまり下手な意見がないねー
ぷくちゃん
ぷくちゃん
上手いイメージが先行してるみたい!

上手な意見

まんちゃん
まんちゃん
上手すぎる演技力に驚く人もいるみたい!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
色気もあるのがカッコいい♪

窪田正孝さんの演技について調べてみたところ、下手という意見はほとんど見つかりませんでした。上手過ぎて浮いてしまったり、他の俳優さんを潰してしまう程の演技力という評価もありました。
真剣な役から、コメディ要素のある役、漫画の実写版、アクションまでもこなせるとても器用な俳優さんみたいですね。
「エール」でも見せる演技もますます楽しみで期待がもてます。

エールでの窪田正孝に期待!

いかがでしたでしょうか?

エールでの役柄は実家の跡取りと期待され、銀行務めをするものの、音楽に対する思いを断ち切れず、歌手を目指す女性とめぐり合い音楽の道に進む主人公の古山裕一を演じます。
子どもの頃から優しい心を持ち、音楽の才能に恵まれた主人公がヒット曲を生み出し、戦争を経験し、戦後の混乱した時代でも音楽の力で勇気を与えるため夫婦で奮闘する作曲家の役です。
誰もが一度は聞いたことある曲を作った古関裕而さんがモデルとなっていて、その波乱の人生と愛する奥さんとの絆を窪田正孝さんがどのようにに演じるのかが楽しみです。
30歳になっても高校生役もできてしまう窪田正孝さんの演技の幅を更に広げる作品になるのではないかと期待しちゃいます。
久しぶりの男性主演の朝ドラということも注目されているエール。これからも窪田正孝さんの演じる古山裕一を楽しみにしていきましょう。