エール

エール木枯のテイコクレコードのモデルは帝国蓄音機商会!現在は?

憧れの小山田先生と対面を果たすも、なかなか作曲できない裕一。大きな壁にぶつかっています。
第7週では音が頑張ってコロンブスレコードとの2年目の契約も同じ金額にしてくれました。なんとしてもレコードになる曲を仕上げなければいけませんね!

まんちゃん
まんちゃん
音と廿日市の駆け引きも面白かったね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
会社に乗り込むなんてすごい妻!

第7週ではコロンブスレコードに初出社し、作曲家も何人か登場しました。裕一の作曲家仲間である木枯正人。彼もまた、裕一と同じく曲の不採用記録を競い合ってきましたが、木枯が先に曲が採用されレコードが発売されます。

第10週「ふたりの夢」では裕一の幼馴染の村野鉄男が上京してきます。
鉄男をコロンブスレコードに連れてきた裕一。鉄男と廊下で話していると、木枯が通りかかり、裕一に話があるといいます。三人でおでん屋に行き酒を飲みながら話しをすることに。

「実は、移籍することになった。テイコクレコードに誘ってもらったんだ。」
テイコクレコードはコロンブスレコードよりも報酬がいいと木枯。
裕一はテイコクレコードに移ってもたまには会おうと言いました。

木枯はコロンブスレコードを去ってしまうのですね、、、。
裕一にとっては寂しい話かもしれません。
木枯の新天地となるテイコクレコード。果たしてどのような会社なのでしょうか?

テイコクレコードと実在モデルの違いは?

今後ドラマの中でテイコクレコードのシーンがあるのかは不明です。
モデルになっているのは帝国蓄音機商会のようです。現在の株式会社テイチクエンタテイメントとなっています。

こちらもコロンビアレコードのモデルとなっているコロンブスレコードと同じでレコードを発売する会社です。

テイコクレコードの実在モデルについて

昭和6年(1931)吉川島次さんと南口重太郎さんが合資会社会社帝国蓄音機商会(以下テイチク)を設立します。本社と工場は奈良県、事務所は兵庫県にありました。

エールではちょうど第7週にあたる時期です。
歴史ある会社ですので、ひとつひとつの出来事を拾っていくと長くなるので、木枯正人のモデルとなっている古賀政男さんと関係のあるところを中心に見ていきましょう。

昭和9年(1934)に株式会社へ。この年、木枯正人のモデルとなっている古賀政男さんは日本コロムビアレコードからにテイチクに移っています。
移った経緯は、テイチク創業者の南口重太郎さんが偶然を装い、離婚騒動などで体調を崩し温泉で療養していた古賀政男さんをスカウトしたところから。コロムビアレコードから録音技師や社員も呼び寄せました。この年、東京に進出しています。

「国境を越えて」の歌手の楠木繁夫さんも古賀さんと同じく昭和9年にテイチク専属の歌手になりました。テイチク専属になる前は30以上のレーベルで名前を変えながらレコーディングされていました。

作詞の佐藤惣之助さんは古賀さんと組んで数多くの名曲を世に送り出しています。
古関裕而さん作曲の「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」「巨人軍の歌(野球の王者)」の作詞も手掛けました。

昭和11年(1936)には藤山一郎さん(エールの山藤太郎のモデルになっている歌手)が入社。古賀さん作曲、藤山さん歌唱のレコード「東京ラプソディ」などがヒットしました。

昭和13年(1938)古賀政男さんが退社し、音楽文化親善使節として渡米します。
この年、満州に録音スタジオを新設しました。

その後はテイチクも戦争の荒波に揉まれながらも、戦後もレコードを発売。CD、楽曲配信など時代の流れに沿いながら世の中に音楽を送り続けています。

まんちゃん
まんちゃん
古賀さんはスカウトされて移籍したんだね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
これからも様々な音楽を届けて欲しいね!

テイコクレコードのロケ地はどこ?

テイコクレコードが今後エールの中で登場することはあるのか、、、?
現時点では不明です。
登場してきましたら改めて調べてご案内したいと思います!

まんちゃん
まんちゃん
もっと木枯に登場シーンを観たい!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
カフェーでの弾き語り、かっこよかったよね!

最後に・・・

いかがだったでしょうか?
テイコクレコードに移ってしまう木枯。
モデルの古賀政男さんはテイチクを経て、数多くの「古賀メロディー」が生みだしました。東京都渋谷には古賀政男音楽博物館があります。コロナウイルスが落ち着いたら訪問して古賀さんの歩みを勉強するのもいいかもしれませんね!
木枯の活躍もドラマで放送されることを願いつつ放送を楽しみましょう!!