史実と実在モデル

関屋敏子(エール夏目千鶴子モデル)は38歳で自殺!古関夫妻と関係が!

2020年度前期のNHKの連続テレビ小説「エール」

音と「椿姫」のヒロインを掛けて争う夏目千鶴子。今回、映像作品の出演が初めてとなった小南満佑子さんが演じています。音楽学校での、山崎育三郎さん演じる佐藤久志との歌唱シーン、とても素敵でしたよね。

まんちゃん
まんちゃん
贅沢な授業だったね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
もっと二人の歌唱シーン、観たかった!

今回はエールに出てくる「夏目千鶴子」とその実在モデルである「関屋敏子」について朝ドラマニアの私が詳しく紹介します♪

関屋敏子とは?


昭和初期に活躍したソプラノ歌手であり作曲家です。
日本の生んだ天才音楽家として、ヨーロッパでも数多くのオペラに出演しています。
どのような人物なのか詳しく見ていきましょう!

関屋敏子の経歴や生い立ちについて

音楽家、関屋敏子の経歴

1925年(大正14)東京でリサイタルを行い歌手デビューします。
世界のオペラの主流はイタリアという考えから、1927年(昭和2)イタリアに留学。名指揮者・スキャボニー、ソプラノ歌手・ロジーナ・ストルキオらから指導を受けオペラを学びました。
オーディションに合格してスカラ座に入団します。

スカラ座の引っ越し興業で、出演者が風邪で舞台に立てなくなり、代役で敏子がバルセロナのリセウ大劇場の舞台に立ちました。そこで一躍有名になります。

この時期、レオナルド・ダ・ヴィンチ芸術章を授与されています。
当時、エールのヒロイン・音の歌の師匠である御手洗清太郎も話していましたが、人種差別がありました。しかし、敏子の歌声が認められ、日本が生んだ世界のプリマドンナとして舞台で活躍しました。

1929年(昭和4)帰国。
翌年「椿姫」でオペラ歌手、声楽家・藤原義江と共演します。義江は父がスコットランド人、母は日本人のハーフ。この「椿姫」が義江にとっての本格的なオペラ出演となりました。この時の「椿姫」の指揮を山田耕筰が務めています。

敏子は女優として「子守唄」という映画で主演も務めました。
日本での活動の後、再びヨーロッパに渡り舞台に立ちます。
歌舞伎や人形浄瑠璃にもなっていて、江戸時代から伝わる駆け落ちした男女の話「お夏清十郎」。この作品を題材に「お夏狂乱」という作品にオペラ化します。

敏子自身が主人公・お夏を演じました。日本歌曲もヨーロッパで紹介しています。

1934(昭和9)に帰国。歌舞伎座でも「お夏狂乱」を初演しました。帰国後も舞台で活躍する傍ら、レコードの発売も行いました。
日本コロムビアでもレコードを出しました。

1941年(昭和16)11月23日、自宅で睡眠薬により自殺します。離婚やうつ病、作曲に行き詰ったこと、声の衰えなどが理由に上がっています。遺書にはこう書かれていました。

関屋敏子は、三十八歳で今散りましても、桜の花のようにかぐわしい名は永久消える事のない今日只今だと悟りました。そして敏子の名誉を永久に保管していただき、百万年も万々年も世とともに人の心の清さを知らしむる御手本になりますよう、大日本芸術の品格を守らして下さいませ。

世界でも大活躍した敏子。その歌声は現在、国立国会図書館のデジタルコレクションで歴史的音源として記録されており、実際に聴くことができます。

生い立ち

1904年(明治37)3月12日、現在の東京都文京区に生まれました。
4歳の頃から長唄、琴、舞踊など芸術に親しみます。
旧制・東京女子高等師範学校附属小学校に入学し、3年生の時に皇后御前演奏で独奏者として歌唱しました。
オペラ歌手・三浦環に師事し、1914(大正3年)初めての演奏会を行います。イタリア語の曲を歌唱。翌日の都新聞(東京新聞)には天才少女、師匠である三浦環を超えるであろうという内容が掲載されています。

まんちゃん
まんちゃん
ちなみにこの頃、1909年(明治42)生まれの古関裕而さんはまだ5歳。蓄音器をお父さんが購入し、音楽の道を歩むきっかけになりました。

その後、敏子は環の推薦でイタリア人テノール歌手・アドルフォ・サルコリから声楽を学びます。
1921年(大正10)東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の声楽科に入学。


しかし、学校の主流がドイツ系で、イタリア系声楽を学んできた敏子は異端視され、中途退学することに。
再びサルコリに師事することとなったのです。

まんちゃん
まんちゃん
双浦環のモデル、三浦環とも繋がりがあったんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
幼いころから大活躍だったんだね。

主人公夫婦との関わり

関屋敏子をモデルとした夏目千鶴子はエールでは音の同級生として登場しています。
敏子は1904年(明治37)生まれ。中退してしまいますが、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に通っていました。
一方の音のモデルとなっている古関金子は1912(明治45)年生まれ。帝国音楽学校に通っていました。
年齢も学校も違うので、ライバルという設定はドラマオリジナルのようですね。

ですが、世界で活躍する関屋敏子、古関夫妻もファンでした。古関裕而はサインをもらい喜んだという話も残っています。
敏子も作曲を行っていたので、古関裕而作曲の曲を聴いて刺激を受けていたかもしれませんね!

まんちゃん
まんちゃん
有名人からサインを貰って喜ぶというのは昔から変わらないんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
会った時に音楽の事、熱く語っていたかもしれないね。

家族について

関屋家はどんな家?

実業家の父・関屋祐之助。父方の家系は二本松藩の御殿医の家系でした。
古関裕而の故郷・福島市の南側に位置する二本松市。二本松は詩人・高村光太郎の妻・智恵子の故郷です。
毎年秋には霞ヶ城公園で二本松の菊人形が開催されています。

ぷくちゃん
ぷくちゃん
毎年大河ドラマがテーマになっていることが多いけど、今年はエールに関するものなんだね。

敏子の母の名は愛子。母方の祖父はフランス系アメリカ人外交官・チャールズ・ルジャンドル。南北戦争の勇将です。つまり敏子はクオーターということになりますね。
母の兄は歌舞伎俳優の第15代市村羽左衛門です。

ご家族も有名な方ばかり。
そんな敏子の育った関屋家。敷地は2000坪もの広さがあったそうです。

夫について

1937年(昭和12)農林省に勤務する柳生五郎(やぎゅうごろう)と結婚。五郎は大和柳生藩の最後の藩主・柳生俊益(俊郎)の次男です。

婿として関屋家に入りましたが、敏子の引退を望むなど敏子と意見が合わず、協議離婚します。

子どもはいませんでした。

夏目千鶴子ってどんなふうに描かれるの?

音楽学校に通い始めた音。同級生で一番の実力の持ち主が夏目千鶴子でした。これまでも様々なコンクールで金賞を受賞し、活躍しています。

第7週では音と学校の記念公演「椿姫」のヒロインをかけて選考に臨みます。
一次選考に遅刻してしまった音。音を選考が受けられるよう救ってくれたのは、ライバルである千鶴子でした。

二次審査へ進んだ二人、最終選考までが描かれる第9週「東京恋物語」、少しだけ内容を確認してみましょう。

音の憧れのオペラ歌手・双浦環。環が記念公演「椿姫」の審査員であることを音は知ります。緊張を見せる音。裕一は励まします。

二次審査、千鶴子は堂々の歌いぶり。
何を考えて歌っていたか問われると「観客に楽しんでもらえるようにと、考えていました。」
一方、笑顔で歌い終えた音は「歌って楽しいと思いながら歌いました。」

最終選考に残ったのは環と音の二人のみ。音は環に礼をいいます。
環は「選考の基準は満たしていたけれど、夏目さんには勝てない。あなたは何を伝えたいの?役をどこまで理解している?あなたの歌からは何も伝わってこなかったわ。今のままではね。」と言って去っていきました。

「椿姫」は悲しい恋の物語。主人公の気持ちを理解できていなかった音に、久志は恋愛経験を積んだ方がいいのではと言います。しかし、音は人妻。音は裕一がカフェーに行ったことを思い出します。男女の社交場であるカフェー。そこで働けば、主人公の心情がつかめるはずと音は考えました。木枯に仲介してもらい、音は一週間だけカフェーで女給として働きます。

千鶴子の耳にも、音はカフェーで働いていて、さらに結婚もしているということが伝わります。
レッスン室で千鶴子は音に言いました。
「あなたは音楽も家庭も友達も恋愛も、何でも欲しがる。私は子どもの頃から、音楽のためすべてを犠牲にしてきたの。あなたのような強欲な人に、私は負けるわけにはいかないの。」

音にとっては厳しい言葉ですね。
音楽のために全てを犠牲にしてきたという千鶴子。音楽に生きた、というところでは敏子と重なる部分がありますね。

エールの物語は後半、昭和10年代に入り戦争の影が見え始めていきます。千鶴子の学生生活のその後がドラマで描かれるのかは今のところ不明です。。
ですが、音の音楽学校の学生生活では、「椿姫」が一番の思い出になっているのではないでしょうか。

最後に・・・

夏目千鶴子のモデル・関屋敏子、いかがだったでしょうか。
現在はヨーロッパの舞台に立つ日本人のオペラ歌手多くいます。
関屋敏子さんや三浦環さんらががその道を切り開いてくれくれたのかもしれませんね。
音楽を愛した彼女たちの事も思いながら、エール楽しんで視聴しましょう!