2020年度前期のNHKの連続テレビ小説「エール」♪
音と「椿姫」のヒロインを掛けて争う夏目千鶴子。今回、映像作品の出演が初めてとなった小南満佑子さんが演じています。音楽学校での、山崎育三郎さん演じる佐藤久志との歌唱シーン、とても素敵でしたよね。
📺#エール
夏目千鶴子役▶️#小南満佑子 さん
歌手の関屋敏子さんがモデル
ヨーロッパでプリマドンナ佐藤久志役▶️#山崎育三郎 さん
モデルとなった伊藤久男さんは「イヨマンテの夜」の人2020/5/12(火) pic.twitter.com/X29FXYNatT
— yagi🌸 (@yagi_dkmv) May 11, 2020
今回はエールに出てくる「夏目千鶴子」とその実在モデルである「関屋敏子」について朝ドラマニアの私が詳しく紹介します♪
〜もくじ〜
関屋敏子とは?
ソプラノ声楽家、関屋敏子さん。この章は悲しかった。「オト-サマ、オセンス(御扇子)、オセンス‥」の声が、私にも聞こえてきそうだった。 pic.twitter.com/RBpF4qlU7M
— moca315 (@paulmkmk) September 28, 2013
昭和初期に活躍したソプラノ歌手であり作曲家です。
日本の生んだ天才音楽家として、ヨーロッパでも数多くのオペラに出演しています。
どのような人物なのか詳しく見ていきましょう!
関屋敏子の経歴や生い立ちについて
音楽家、関屋敏子の経歴
関屋敏子と藤原義江
(昭和5年2月歌舞伎座にて。日本楽劇協会「椿姫」公演より) pic.twitter.com/vt2QDHTsUJ— sally dragon (@sally_dragon) May 31, 2019
1925年(大正14)東京でリサイタルを行い歌手デビューします。
世界のオペラの主流はイタリアという考えから、1927年(昭和2)イタリアに留学。名指揮者・スキャボニー、ソプラノ歌手・ロジーナ・ストルキオらから指導を受けオペラを学びました。
オーディションに合格してスカラ座に入団します。
イタリア🇮🇹 ミラノ.スカラ座
伺った日に公演が無かったので観劇出来なかったけど、館内を見学出来たのはラッキーでした🤞
いつかパリのオペラ座も行ってみたいそして観劇するのが私の夢🥰#コロナで気が滅入るからみんなの写真で旅行しようぜ pic.twitter.com/D8XWWJP4IG
— こっこう (@kokkou21) April 12, 2020
スカラ座の引っ越し興業で、出演者が風邪で舞台に立てなくなり、代役で敏子がバルセロナのリセウ大劇場の舞台に立ちました。そこで一躍有名になります。
オペラ鑑賞にリセウ劇場へ,
観たのはプッチーニ manon lescaut
こちらの劇場94年にほぼ全焼しましたが,まったく同じ作りに再現
天井の壁画や劇場の装飾も見事な作りです。
何時もクラシックやオペラを聴いているわけではないですが,違うジャンルの文化に触れるのはいいエネルギー元になります。 pic.twitter.com/DGmXI7XXPO— Hiroko Miyamoto (@HirokoMiyamoto7) June 12, 2018
この時期、レオナルド・ダ・ヴィンチ芸術章を授与されています。
当時、エールのヒロイン・音の歌の師匠である御手洗清太郎も話していましたが、人種差別がありました。しかし、敏子の歌声が認められ、日本が生んだ世界のプリマドンナとして舞台で活躍しました。
1929年(昭和4)帰国。
翌年「椿姫」でオペラ歌手、声楽家・藤原義江と共演します。義江は父がスコットランド人、母は日本人のハーフ。この「椿姫」が義江にとっての本格的なオペラ出演となりました。この時の「椿姫」の指揮を山田耕筰が務めています。
関屋敏子と藤原義江
(昭和5年2月歌舞伎座にて。日本楽劇協会「椿姫」公演より) pic.twitter.com/vt2QDHTsUJ— sally dragon (@sally_dragon) May 31, 2019
敏子は女優として「子守唄」という映画で主演も務めました。
日本での活動の後、再びヨーロッパに渡り舞台に立ちます。
歌舞伎や人形浄瑠璃にもなっていて、江戸時代から伝わる駆け落ちした男女の話「お夏清十郎」。この作品を題材に「お夏狂乱」という作品にオペラ化します。
敏子自身が主人公・お夏を演じました。日本歌曲もヨーロッパで紹介しています。
1934(昭和9)に帰国。歌舞伎座でも「お夏狂乱」を初演しました。帰国後も舞台で活躍する傍ら、レコードの発売も行いました。
日本コロムビアでもレコードを出しました。
1941年(昭和16)11月23日、自宅で睡眠薬により自殺します。離婚やうつ病、作曲に行き詰ったこと、声の衰えなどが理由に上がっています。遺書にはこう書かれていました。
関屋敏子は、三十八歳で今散りましても、桜の花のようにかぐわしい名は永久消える事のない今日只今だと悟りました。そして敏子の名誉を永久に保管していただき、百万年も万々年も世とともに人の心の清さを知らしむる御手本になりますよう、大日本芸術の品格を守らして下さいませ。
世界でも大活躍した敏子。その歌声は現在、国立国会図書館のデジタルコレクションで歴史的音源として記録されており、実際に聴くことができます。
生い立ち
1904年(明治37)3月12日、現在の東京都文京区に生まれました。
4歳の頃から長唄、琴、舞踊など芸術に親しみます。
旧制・東京女子高等師範学校附属小学校に入学し、3年生の時に皇后御前演奏で独奏者として歌唱しました。
オペラ歌手・三浦環に師事し、1914(大正3年)初めての演奏会を行います。イタリア語の曲を歌唱。翌日の都新聞(東京新聞)には天才少女、師匠である三浦環を超えるであろうという内容が掲載されています。
朝ドラ『エール』で三浦環が話題になっていたが、書類整理をしていたら丁度出てきたので撮影。#78rpm #SPレコード #sp盤 #soprano #エール #三浦環 #声楽 #オペラ #蝶々夫人 #madambutterfly #朝ドラ #ニッポノホン pic.twitter.com/vqirUfDipK
— 保利透 @ぐらもくらぶ (@polyfar) April 7, 2020
その後、敏子は環の推薦でイタリア人テノール歌手・アドルフォ・サルコリから声楽を学びます。
1921年(大正10)東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の声楽科に入学。
瀧廉太郎とか山田耕筰といった日本の音楽史に名を残す人物達が舞台に立った建物が、上野公園に残っていてまだ現役だということをご存知でしょうか。コンサート用として日本最古のパイプオルガン(現役!)を備えたこの建物ではたまにコンサートも開催されます。是非!
旧東京音楽学校奏楽堂 1890 pic.twitter.com/TipTXcftug
— ON (@Sangekenzo) July 14, 2019
しかし、学校の主流がドイツ系で、イタリア系声楽を学んできた敏子は異端視され、中途退学することに。
再びサルコリに師事することとなったのです。
主人公夫婦との関わり
関屋敏子をモデルとした夏目千鶴子はエールでは音の同級生として登場しています。
敏子は1904年(明治37)生まれ。中退してしまいますが、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に通っていました。
一方の音のモデルとなっている古関金子は1912(明治45)年生まれ。帝国音楽学校に通っていました。
年齢も学校も違うので、ライバルという設定はドラマオリジナルのようですね。
ですが、世界で活躍する関屋敏子、古関夫妻もファンでした。古関裕而はサインをもらい喜んだという話も残っています。
敏子も作曲を行っていたので、古関裕而作曲の曲を聴いて刺激を受けていたかもしれませんね!
家族について
関屋家はどんな家?
実業家の父・関屋祐之助。父方の家系は二本松藩の御殿医の家系でした。
古関裕而の故郷・福島市の南側に位置する二本松市。二本松は詩人・高村光太郎の妻・智恵子の故郷です。
毎年秋には霞ヶ城公園で二本松の菊人形が開催されています。
今年も福島県二本松市にて《二本松の菊人形》が10月1日(木)~11月23日(月.祝日)まで開催されます!春先はきびしくても秋に旅行を計画される予定の方はぜひ二本松も候補地の一つにお願いいたします🙏 #二本松菊人形 #今年も開催します #旅行の候補地にぜひ pic.twitter.com/aMBHuzRIWM
— 共立観光 新潟支店 (@kyoritsukanko) March 9, 2020
敏子の母の名は愛子。母方の祖父はフランス系アメリカ人外交官・チャールズ・ルジャンドル。南北戦争の勇将です。つまり敏子はクオーターということになりますね。
母の兄は歌舞伎俳優の第15代市村羽左衛門です。
ニューヨーク連隊の将校として南北戦争を戦い、グラント司令部の幕僚も務めたチャールズ・ルジャンドル将軍は後に明治政府の顧問として来日、日本人妻との間に作った子供が歌舞伎俳優の15代市村羽左衛門。#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え #nanboku pic.twitter.com/cCNZL6to3o
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) June 11, 2019
ご家族も有名な方ばかり。
そんな敏子の育った関屋家。敷地は2000坪もの広さがあったそうです。
夫について
1937年(昭和12)農林省に勤務する柳生五郎(やぎゅうごろう)と結婚。五郎は大和柳生藩の最後の藩主・柳生俊益(俊郎)の次男です。
本日は大和国の山奥で城巡り!
須川城、興ヶ原城、柳生藩陣屋、柳生城、柳生古城を巡りました。柳生系城郭の堀切はどれも圧巻!!
柳生さんはスゴい!!
柳生の堀切のファンになってしまった!!
柳生堀切、万歳!①柳生古城の堀切
②興ヶ原城の堀切
③柳生城の堀切
④柳生宗巌が斬った “一刀石” pic.twitter.com/PiwhAg8NqO— 若狭守の武者 (@tatibana_ason) December 15, 2018
婿として関屋家に入りましたが、敏子の引退を望むなど敏子と意見が合わず、協議離婚します。
子どもはいませんでした。
夏目千鶴子ってどんなふうに描かれるの?
夏目千鶴子を演じるのは、小南満佑子さん。国内外のコンクールで多数入賞。ミュージカルにも多数出演。素晴らしい歌声。 #エール pic.twitter.com/XJTOuktYcO
— Saitoh Masaya (@MS3110) May 11, 2020
音楽学校に通い始めた音。同級生で一番の実力の持ち主が夏目千鶴子でした。これまでも様々なコンクールで金賞を受賞し、活躍しています。
第7週では音と学校の記念公演「椿姫」のヒロインをかけて選考に臨みます。
一次選考に遅刻してしまった音。音を選考が受けられるよう救ってくれたのは、ライバルである千鶴子でした。
二次審査へ進んだ二人、最終選考までが描かれる第9週「東京恋物語」、少しだけ内容を確認してみましょう。
音の憧れのオペラ歌手・双浦環。環が記念公演「椿姫」の審査員であることを音は知ります。緊張を見せる音。裕一は励まします。
二次審査、千鶴子は堂々の歌いぶり。
何を考えて歌っていたか問われると「観客に楽しんでもらえるようにと、考えていました。」
一方、笑顔で歌い終えた音は「歌って楽しいと思いながら歌いました。」
最終選考に残ったのは環と音の二人のみ。音は環に礼をいいます。
環は「選考の基準は満たしていたけれど、夏目さんには勝てない。あなたは何を伝えたいの?役をどこまで理解している?あなたの歌からは何も伝わってこなかったわ。今のままではね。」と言って去っていきました。
「椿姫」は悲しい恋の物語。主人公の気持ちを理解できていなかった音に、久志は恋愛経験を積んだ方がいいのではと言います。しかし、音は人妻。音は裕一がカフェーに行ったことを思い出します。男女の社交場であるカフェー。そこで働けば、主人公の心情がつかめるはずと音は考えました。木枯に仲介してもらい、音は一週間だけカフェーで女給として働きます。
千鶴子の耳にも、音はカフェーで働いていて、さらに結婚もしているということが伝わります。
レッスン室で千鶴子は音に言いました。
「あなたは音楽も家庭も友達も恋愛も、何でも欲しがる。私は子どもの頃から、音楽のためすべてを犠牲にしてきたの。あなたのような強欲な人に、私は負けるわけにはいかないの。」
音にとっては厳しい言葉ですね。
音楽のために全てを犠牲にしてきたという千鶴子。音楽に生きた、というところでは敏子と重なる部分がありますね。
エールの物語は後半、昭和10年代に入り戦争の影が見え始めていきます。千鶴子の学生生活のその後がドラマで描かれるのかは今のところ不明です。。
ですが、音の音楽学校の学生生活では、「椿姫」が一番の思い出になっているのではないでしょうか。
最後に・・・
夏目千鶴子のモデル・関屋敏子、いかがだったでしょうか。
現在はヨーロッパの舞台に立つ日本人のオペラ歌手多くいます。
関屋敏子さんや三浦環さんらががその道を切り開いてくれくれたのかもしれませんね。
音楽を愛した彼女たちの事も思いながら、エール楽しんで視聴しましょう!