エール

藤井善一(エール環の旦那のモデル)の離婚原因やその後について!

NHK連続テレビ小説「エール」

裕一が「紺碧の空」を作曲することで今まで自分自身のことしか考えていなかったことに気が付きました。スランプを脱した裕一がこれからどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです♪一方、音は音楽学校の創立記念公演「椿姫」のヴィオレッタ役の選考会に挑戦することに!そんな音が再会したのは、音が憧れてやまない双浦環でした。


双浦環の実在モデルは世界的オペラ歌手の三浦環さんです。三浦環さんはとてもモテる女性だったようで、数多くの男性との噂がありました。とても美人で才能もあった女性ですからモテるのも頷けますよね!

まんちゃん
まんちゃん
瀧廉太郎や野口英世とも噂があったみたい。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
へえ~!!それはびっくりだ!!

今回は双浦環の実在モデルである三浦環さんの1人目の夫である藤井善一さんについて詳しく調べてみましたのでお伝えします。

藤井善一さんについて

三浦環さんの最初の夫は藤井善一さんです。藤井善一さんは陸軍三等軍医正で軍人でした。三浦環さんは当時16歳で結婚する気は全くありませんでしたが、父の柴田孟甫さんが東京音楽学校への進学を反対しており、進められていた縁談を受け入れることで東京音楽学校への進学を許してもらいました。

こうして2人は1900年に結婚をします。しかし、軍医であった藤井善一さんは結婚前に中国への派遣が内定していました。そのため、結婚しても2人はしばらく別居しており同居を始めたのは藤井善一さんが東京勤務となり帰国してからです。三浦環さんは東京音楽学校の校則で結婚は禁止されていたため結婚していることは周囲には隠していました。

藤井善一さんと三浦環さんの結婚は、音楽学校で校則違反となるため秘密にしていました。そのため三浦環さんは学校で相当モテたようです。当時ピアノの先生だった瀧廉太郎からはプロポーズまでされたこともありました。しかし、結婚していたため三浦環さんはこのプロポーズを断っています。

まんちゃん
まんちゃん
藤井善一さんは軍医だったのか。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
立派な仕事だね。夫婦仲はどうだったんだろう?気になるね。

離婚の原因は?


藤井善一さんは東京に戻った後、次は仙台への転勤が内定します。その頃三浦環さんは東京音楽大学を卒業し、東京音楽学校の助教授になる話が来ていました。三浦環さんは自身の音楽活動を優先させたい思いが強く、1907年に離婚してしまいます。

藤井善一さんは仙台に三浦環さんを連れて行き、仕事から離れて欲しいと思っていました。毎晩仕事で夜遅くまで家に帰らず、家に帰って来ても4~50人もいたといわれる弟子が一緒に帰ってきたため2人の時間もありません。

藤井善一さんは音楽へ夢中だった三浦環さんへの不満がありました。2人の時間を持ちたかったのでしょう。しかし、離婚後も藤井善一さんと三浦環さんは何度か会って再婚を考えていたという話もありましたので、結婚生活は上手く行っていたようですね♪

結婚期間は約7年でしたが、単身赴任で別居期間もあったので結婚生活は実質2年ほどでした。

まんちゃん
まんちゃん
なかなか二人とも忙しくてゆっくり結婚生活といえる時間がなかったんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
再婚を何度か考えてたのは意外だな~。

陸軍三等軍医正とはどんな仕事?

藤井善一さんが所属していた軍医とは軍隊構成員である医師です。軍医は衛生下士官、衛生兵、看護人、看護師などとともに衛生要因に含まれました。第二次世界大戦期の日本の軍隊(陸軍)では、歩兵600~1000名前後の大隊につき2名の軍医が勤務していました。

明治30年頃から大日本帝国陸軍には階級が設けられており、その中で軍医の中にも階級がありました。軍医を階級が高い順に並べてみます。

①軍医総監(陸軍軍医中将)
②軍医監
③上長官・一等軍医正
④上長官・二等軍医正
⑤上長官・三等軍医正(藤井善一さんの階級)
⑥士官・一等軍医
⑦士官・二等軍医
⑧士官・三等軍医

藤井善一さんは陸軍三等軍医正でしたので五番目の階級に当たります。

まんちゃん
まんちゃん
医者も軍に所属していたんだね。大変そうな仕事だね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
軍の階級とか厳しそうだな~。

最後に

いかがだったでしょうか?

藤井善一さんは陸軍の軍医として働いており、異動が絶えない生活をしていました。三浦環さんは東京音楽学校を卒業しても東京を拠点に仕事をしていましたので、2人でゆっくり結婚生活を送れた時間は短かったようです。

今後、三浦環さんの実在モデルである柴咲コウさん演じる双浦環の過去の話として、藤井善一さんがモデルの人物が登場する可能性はあるでしょうか?楽しみですね♪