2020年度前期のNHKの連続テレビ小説「エール」♪
「椿姫」の主役の座を射止め、歌手になる夢に一歩近づいた音。
双浦環をはじめ様々な歌手がドラマでは登場しています。
歌唱シーンもエールの楽しみですよね。
エールにこれから登場する藤丸も歌手の一人です。
昭和歌謡史アルバムのライナーノーツを歴史の読み物として愛読してた小学生時代を思い出す。そういやあのアルバムもコロンビア(劇中コロンブス)レコードだった。これから藤山一郎さんや音丸さんをモデルにした面々が登場すると思うと胸熱。三浦環は「はいからさんが通る」で知りました。#エール pic.twitter.com/lkrwtLxVwG
— 曲がり角の先50🐶 (@BBA31604041) May 12, 2020
今回はエールに出てくる「藤丸」とその実在モデルである「音丸」について朝ドラマニアの私が詳しく紹介します♪
音丸とは?
音丸さんは有名な歌手で民謡などを得意にしていたそうです🎵
代表曲は
船頭可愛いや
です🚣♀️満州想えば
という曲も歌われています。 pic.twitter.com/Jppq3rUqaK— ほめる之助と普通療法 (@socialblues1) March 15, 2020
昭和初期に活躍した東京都出身の女性歌手です。
本名は永井満津子。
芸名の音丸の由来は「音は丸いレコードから」という洒落からだそうです。
音丸の経歴や生い立ちについて
1906(明治39)東京都、現在の港区麻布に生まれます。
6歳から常磐津、舞踊、13歳から筑前琵琶を習います。
今日は生まれて初めて生で琵琶の演奏を聴かせて頂きました(o^^o)
筑前琵琶は明治・大正・昭和初期には、日本全国で弾かれていて最もポピュラーな楽器だったんだって!!!
全然知らなかった……
独特な音色が心地いい、ステキな夜でした♬♬♬ pic.twitter.com/VOksPcy762
— ☀️宇佐美知代🐰 (@tomoyousami) July 21, 2018
17歳からは小唄を習います。音楽がいつもそばにある生活を送ってきました。
25歳の時、最愛の弟が亡くなり、ノイローゼになってしまいます。
その頃、近所から民謡を歌う声が響いていました。聴いて覚えた民謡を歌っているうちに病気が良くなり、心も晴れてきたそうです。
民謡は近所の人が習っていて、民謡歌手であり尺八奏者でもある菊池淡水が教えに来ていたのです。
尺八名人菊池淡水先生 pic.twitter.com/Ws3fyACn6b
— tachino taro (@notarotachi) October 6, 2019
満津子は民謡の会に出席し、美声を披露します。菊池は歌声を絶賛したそうです。菊池との出会いが、歌手への道に進むきっかけになりました。
経歴
朝ドラ「 #エール 」の新たな出演者として紹介されている藤丸って、昭和前期の歌手音丸がモデルですね。東海道品川宿の天妙国寺にお墓があります。本名永井満津子、下駄屋の主婦から芸者姿の歌手としてデビューし、人気を博しました。
「エール」公式サイトhttps://t.co/obklLMheW4 pic.twitter.com/AM02TJpTYi
— 歩き旅応援舎 (@arukitabiouen) May 15, 2020
満津子は菊池の推薦で「草津湯もみ歌」を吹き込みます。すると、それを聴いたテイチクレコードの重役、作曲家・古賀政男から声がかかりました。古賀は「泪の京人形」を満津子に吹き込ませます。
当時、うぐいす芸者と呼ばれる流行歌を歌う芸者兼歌手がいました。
【うぐいす芸者歌手】
昭和戦前(!)から戦後にかけて活躍した、流行歌を歌う芸者兼歌手。
主に芸者歌手と呼ばれる方々。
素敵ですね。 pic.twitter.com/NX7opbc8ao— お餅 (@mochi_mo__chi) May 17, 2017
しかし、芸者だと花代が高い。古賀らは芸者ではない歌のうまい女性を探していたそうです。見出された女性が満津子でした。
1934年(昭和9)正式に日本コロムビアから「おけさくづし」「主は国境」でデビューします。
デビュー翌年の8月、古関裕而作曲の「船頭可愛や」のレコードが発売されます。この曲は音丸にとって初の大ヒット。
続いて発売されたレコードも評判が良く、人気者になります。
レコードの吹き込みだけでなく映画、ラジオにも出演。また、慰問、巡業で全国を歩き、これは戦後まで続きました。
戦後は懐メロブームに乗って歌番組にも出演します。
古関先生のビッグショーを見たときに、祖母が懐かしく歌ったのを見て好きになった曲です。
ビッグショーでは高英男さんが歌っていたのを覚えています。
「昭和歌謡大全集・第27弾」で紹介。
映像を探していたら、久々にyoutubeにアップされてました。😄 pic.twitter.com/tLagr4RSVp
— 津田沼さん (@p6IdgTi68WeDLQB) May 20, 2019
1976(昭和51)急逝心不全のため死去。69歳でした。お墓の隣にはヒット曲「船頭可愛や」の碑があります
音丸姐さんのお墓参りをしてきた。「船頭可愛や」の歌碑も隣にあったので、一節口ずさみました。 #nowplaying pic.twitter.com/MqnjOMVkcD
— 東京の花売娘 (@aizenkatsura) May 2, 2016
家族について
家業は履物屋
現在の港区麻布十番で履物屋を営んでいました。
音丸は長女。弟は亡くなってしまします。
婿をもらい履物屋で共に働きます。しかし、歌手活動が多忙となったこともあり、下駄屋は人手に委ねて夫とは離婚しました。
その後井口静波(いぐちせいは、1898ー1968)と再婚します。
手元にある、戦前の大阪・北の新地の花月倶楽部のプログラム。
主な出演は、東京から来演の〈粋曲百態〉柳家三亀松、〈講談界の王者〉神田伯龍、〈漫談界の第一人者〉井口静波の他、漫才のエンタツ・エノスケ、雁玉・十郎、落語では二代目・桂春團治ら、漫談の花月亭九里丸など。#お笑い #寄席 #吉本 pic.twitter.com/odXw7err7l— 西条昇の浅草エンタメ散歩 (@saijoasakusa) March 11, 2018
音丸と同じく東京出身の静波は弁士として活躍し、音丸と全国へ慰問、巡業をしています
古関裕而の特別授業?
楽譜が読めなかったという音丸。
「船頭可愛や」のレコーディング前には、古関家に通います。古関裕而はピアノを弾いて歌唱指導を行ったそうです。
この曲は古関にとっても初めてのヒット曲となりました。
藤丸ってどんなふうに描かれるの?
第10週から登場予定の藤丸。
レコード「船頭可愛や」の発売が決まった裕一。芸者がレコードを出すのが流行っていたため、この曲も芸者に歌わせると廿日市は話していました。裕一がそのことを鉄男と久志に話すと、どんな美女が歌うのか気になり、レコーディング当日も録音室にやってきます。
「すぐいなくなるヤツ」久志をズバリ表現した言葉で、鉄男の作詞家としてのセンスを改めて確認しました。#エール pic.twitter.com/hGvnQGuq5Y
— Kenzy (@KenzyPowell) May 25, 2020
しかし、化粧気のない地味な女性が現れました。
「沼田松子です、、じゃなかった、藤丸です。」
本物の芸者では高くつくので、廿日市は下駄屋の娘である松子に「藤丸」という名前の芸者として歌うよう依頼したのです。
廿日市は「いいでしょ、芸者ってことにしちゃえば。」と言います。
いざレコーディングが始まると、藤丸の歌唱力は素晴らしいものでした。裕一らも圧倒されます。
その後、藤丸は裕一らの飲み仲間になります。
最後に・・・
古関最初のヒット曲の歌手となった音丸。古関にとっても大切な一曲の一つであるでしょう。
藤丸の歌声も楽しみですね!テレビを観ながら曲を口ずさむのもいいかもしれませんね!