エール

三浦政太郎(エールたまきの旦那のモデル)はビタミンCを見つけた凄い人

NHK連続テレビ小説「エール」

音が東京音楽学校の創立記念公演「椿姫」でヴィオレッタ役を演じることが決まりましたね!音の聞いている人に伝わる感情豊かな歌声に、環をはじめとする審査員も納得の表情でした。これからヴィオレッタを演じる音に特別講師として環は関わって来ることになります。

まんちゃん
まんちゃん
音の二次選考とは違う歌声に環も嬉しそうだったね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
二階堂ふみさんの歌声は本当にすごかったね♪

今回は柴咲コウさん演じる双浦環の実在モデル・三浦環さんの二番目の夫である三浦政太郎さんについて詳しく調べましたのでご紹介します♪

三浦政太郎さんと三浦環さんの結婚

三浦環さんは1人目の夫である藤井善一さんと離婚後、1913年(1909年婚約)に自身の遠戚にあたる三浦政太郎さんと再婚しています。三浦政太郎さんは東京帝国大学医学部で内科権威である医師の助手を務めており、将来有望な男性でした。三浦政太郎さんは高校時代から三浦環さんのことを好いており、藤井善一さんと結婚をしたときは相当なショックを受けていました。

三浦政太郎さんは三浦環さんの父である柴田孟輔さんから環さんが多忙で妻としての務めが果たせないと結婚を反対されますが、「芸術家は社会の花。芸術家を家に閉じ込めるのは冒涜であり、封建思想です。」と話します。その言葉に感銘を受けた三浦環さんは三浦政太郎さんとの結婚を決めました。

まんちゃん
まんちゃん
芸術家としての三浦環さんを愛していたんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
この時代に理解のある男性だ!

夫婦で海外へ

三浦環さんはすでにこの頃からオペラ歌手として活躍していたため、軍医であった藤井善一さんと離婚し三浦政太郎さんとの再婚したことは大きなスキャンダルとなりました。三浦環さんは悪女として騒ぎ立てられます。このことで三浦環さんは東京音楽学校を、三浦政太郎さんは東京帝国大学を辞める事態にまで発展しました。

その後、三浦政太郎さんはシンガポールの「三井ゴム園病院」の院長の仕事の話が来たため1909年に単身シンガポールへ向かいます。三浦環さんは3年後シンガポールへ行き結婚生活を始めました。そして、1914年2人はドイツへ留学することを決意します。


しかし、ドイツへ留学してすぐ第1次世界大戦が起こったためドイツにはいられずイギリスへと逃れます。三浦環さんはイギリスでロンドンのオペラハウスに日本人で初めてプリマドンナとして出演するなど活躍をしました。1915年にはイギリスも空襲を受けるようになったため三浦夫妻は渡米。1920年には再び渡欧し三浦環さんはイタリアやフランスでも公演を成功させました。

1921年、三浦政太郎さんは単身で帰国しています。三浦環さんはその8年後に帰国しますが愛人を連れてきたとされています。そのことが問題となり、三浦政太郎さんと三浦環さんは親族をも交えて話し合いを持ちます。話し合いの末、愛人と別れることを条件に三浦環さんは再渡米をしました。そして三浦政太郎さんは1929年、渡米した三浦環さんとは会えずにこの世を去ります。

まんちゃん
まんちゃん
三浦環さんは恋多き女だったんだね。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
三浦政太郎さんもきっと大変だっただろうなぁ~。

緑茶の中のビタミンCを発見!

三浦政太郎さんは単身で帰国後は医学博士として活躍し、1924年に女性初の農学博士となった辻村みちよさんとともに緑茶内に大量のビタミンCが含まれていることを発見します。その研究成果は日本農芸化学会誌に「緑茶のビタミンCに就いて」という論文に掲載されました。この発見は北米向けの日本茶の輸出拡大をもたらし、その後の緑茶研究の礎となります。

三浦政太郎さんの共同研究者であった辻村みちよさんは日本初の女性農学博士として名を残しています。緑茶内のビタミンCを発見後も緑茶における化学成分の研究を続け、緑茶中のカテキンの発見やタンニンの構造決定など、傑出した研究成果を残しました。戦後はお茶の水女子大や実践女子大などで後進の育成に尽力しています。

まんちゃん
まんちゃん
三浦政太郎さん、帰国後も医学博士として活躍したんだ!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
緑茶のビタミン成分を発見するなんてすごいね。

最後に

いかがだったでしょうか?

三浦政太郎さんは三浦環さんの遠戚にあたり、幼い頃から三浦環さんを好きでした。1人目の夫である藤井善一さんと離婚した時は喜んで三浦環さんへ猛アプローチしています。女性としても芸術家としても三浦環さんを愛していたのですね。海外でどんどん活躍をしていく三浦環さんの近くに寄り添えたことは幸せだったのではないでしょうか?

三浦政太郎さんの存在が今後「エール」内で登場するか期待して待ちたいと思います♪