NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」
【速報】
2021年後期の連続ドラマ小説
タイトル
カムカムエブリバディ
ハートフルコメディーになるみたいです。
親子3代のドラマです!#カムカムエブリバディ#連続ドラマ小説 pic.twitter.com/LLryvaQp6f— カズロック( ゚∀゚)」 (@krxkrscryd) July 28, 2020
NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の制作が発表されました。今回の朝ドラは3人のヒロインがバトンを繋いでいく100年にわたる物語です。祖母・母・娘の3人が「ラジオ英語」を聞くことでそれぞれの夢を切り開いていきます。
そのラジオ英語というのがNHKで放送されていた「ラジオ英語講座」で、その英語講師をしていたのがNHKアナウンサーの平川唯一さんです。ラジオ英語が繋ぐ3世代のヒロインの物語に期待が膨らみます!
今回は「カムカムエヴリバディ」の物語の中で重要な役割を果たすことになるNHK「ラジオ英語講座」の講師だった平川唯一さんについて詳しく調べましたのでお伝えします♪
〜もくじ〜
平川唯一さんについて
#70年前のToday
2/1/1946:「カムカム英会話」(講師・平川唯一さん)ラジオ放送開始。
※日録20世紀1946(講談社)より pic.twitter.com/w70hTDTf5N— Tarama Taruhei (@menghu_nankuru) January 31, 2016
平川唯一さんのプロフィール
名前:平川唯一(ひらかわゆういち)
生年月日:1902年2月13日
没年月日:1993年8月25日(91歳)
出身地:岡山県
最終学歴:アメリカ合衆国・ワシントン大学
平川唯一さんの生涯
父を追いかけてアメリカへ
平川唯一さんは1902年に岡山県の農家の次男として生まれます。地元の津川尋常高等小学校高等科2年を修了すると、家の農作業の手伝いをしていました。しかし、出稼ぎに行っていた父を追いかけて兄とともに渡米することを決意。ポートランドで線路工夫などに従事し、その後シアトルで日本人商店の店員として半年間働きました。
1919年の19歳の時に英語を勉強するため、高級住宅地の家庭に書生として住み込みスウェード小学校に入学。スウェード小学校を飛び級で3年で卒業しブロードウェイハイスクール、ワシントン大学と進学していきます。1931年にはワシントン大学演劇科を首席で卒業し文学史の称号を得ました。
今日はワシントン大学にいきました
全てがでかい あと綺麗
図書館(2,3枚目)まじでハリーポッターって呼ばれてるらしくて草 pic.twitter.com/IkR1llJP5A— みる (@mzrlc) July 30, 2019
ワシントン大学はアメリカ・シアトルに本部を置くアメリカの州立大学で、1861年に設置された歴史と伝統のあるアメリカ最大規模の名門大学です。その大学を首席で卒業とは平川唯一さんの優秀ぶりが分かりますね。
平川唯一さんは1919年~1931年までの学生生活について、子供時代に農家で苦労していたので昼間は学校、帰って来たら掃除、夜は夕食後に勉強という生活は「苦学というより楽学だった。」と話しています。
ワシントン大学を卒業し牧師に
平川唯一さんはワシントン大学を卒業後はロサンゼルスのセントメリーズ・チャーチの副牧師となり、日米文化の伝達に貢献。そして、1935年にこの教会で出会った東京出身の滝田よねさんと結婚します。牧師として活躍するだけでなく、俳優としてJoe Hirakawaという名前でハリウッド映画や小劇場での演劇にも出演しました。
日本へ帰国しアナウンサーの道へ
平川唯一さんは1946年に日本へ帰国。帰国後はNHK英語放送のアナウンサーに応募して合格し、国際放送のチーフアナウンサーとして8年間勤務します。終戦時には玉音放送を英訳し、国外にむけて国際放送で朗読しました。
1946年2月から5年間の間、NHKラジオ第1放送で午後6時から15分間放送の「英語会話講座」を担当。番組のオープニングテーマ曲である「カムカムエヴリバディ」の作詞も手掛けました。「カムカムエヴリバディ」は子供から大人まで親しまれる国民的な歌となり人気を博します。
日本の英語ブームの火付け役に
平川唯一さんは演劇を学んでいたことを生かして「ラジオ英語講座」で日本の家族をテーマとしてた寸劇を使って英語遊びを教えます。その英語講座は大人気となり、平川唯一さん宛にファンレターが合計で50万通も送られてきたそうです。平川唯一さんは通称「カムカムおじさん」と呼ばれ、みんなに親しまれました。そして、この「ラジオ英語講座」が日本の英語ブームを呼び起こします。
「ラジオ英語講座」の講師を退任後はラジオ東京やニッポン放送で英語会話講座を続け、その後は自宅で「カムカムクラブ」という英語クラブを開いて日本の英語普及に尽力しました。
晩年
1957年には太平洋テレビの翻訳部長となり、後には副社長に就任。1976年には長年の功績が称えられ勲5等双光旭日章を受章しました。晩年にはラジオテキストの英語の詠みをフリガナふる工夫を加えた「みんなのカムカム英語」を出版しています。1992年、大学英語教育学会から特別功労賞を贈られました。その翌年の1993年8月25日に91歳で死去。
「カムカム英語」ってどんな英語教育?
戦後のカムカム英語雑誌 pic.twitter.com/xp0BHrCh0B
— ナンブ寛永 (@kan_ei_sen) March 2, 2020
平川唯一さんは英語教育に関しては素人でしたが、アメリカで聞いて英語を学んだ経験と演劇をしていた経験を生かして日本の英語教育の普及に貢献しました。平川唯一さんが独自に考え出した教え方は、日本人の家族の日常会話を使った「赤ちゃん口まね方式」というものでした。
「赤ちゃん口まね方式」とは人間は本来家族の言葉を聞いて言語を習得するということを元に、文法や発音から英語に入るのではなく家族英語を話せるようにするという考えから生まれたものです。「英文を楽しく口まねすればだれでも英語が話せるようになるんですよ。」というのが平川唯一さんの口癖でした。
平川唯一さんの家族について
平川唯一さんには一緒にアメリカへ渡った兄がいます。兄とともにアメリカに行ったのは出稼ぎに行った父親を追いかけたからなので、父親はアメリカにいたはずです。しかし、父親と兄についてそれ以上の情報はありませんでした。また、母親についても情報はありません。
また、平川唯一さんは1935年にアメリカで日本人の滝田よねさんと結婚しています。滝田よねさんについてや子供がいたかなどもわからなかったので、これから平川唯一さんの家族について情報が入りましたら追記しますね!
最後に
いかがだったでしょうか?
平川唯一さんのラジオが日本の英語普及に貢献したことは素晴らしいことですね。平川唯一さんの魅力的なラジオが「カムカムエヴリバディ」のヒロインたちにどんな形で影響を与えていくのでしょうか?また、平川唯一さん役がキャスティングされるのかも気になります!続報を楽しみに待ちましょう♪