NHK連続テレビ小説第102作目「エール」。
太平洋戦争が始まり、ますます暗い時代が描かれることになった「エール」。
戦時歌謡の作曲の第一人者として時代の波に飲み込まれていく裕一はもちろん、裕一の家族や友人たちの上にもさまざまな形で戦争の影が落ちてきています。
裕一や、福島三羽ガラスの仲間である鉄男、久志のこれまでに強い影響を与えてきた恩師の藤堂先生も、戦争で大きく生き方が変わってしまった一人。
藤堂先生が出征するシーンでは、何も言えない気持ちになりました。
裕一に、召集令状が届きました。#朝ドラエール#窪田正孝 pic.twitter.com/3lHDColY9i
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今回は、出征した藤堂先生が激戦地から帰ってくることができるのか、詳しくネタバレをご紹介します!
藤堂先生は激戦地から帰ってくる?
昭和12年、日中戦争が始まります。
裕一も戦時歌謡の作曲に関わるようになり、作曲した「露営の歌」は久志が歌って大ヒットを飛ばします。
一年後、音の姉の吟の夫で陸軍の軍人である智彦が、裕一のもとに作曲の依頼に訪れます。
智彦が所属する陸軍の馬政課が作ることになった映画の主題歌の作曲を、裕一はある条件で引き受けます。その条件は、作曲が裕一、作詞が鉄男、歌唱が久志という、福島三羽ガラスでこの曲を作るというものでした。
吟の義理の弟が「 #露営の歌 」の作曲をした古山裕一だと知った智彦は、映画「 #暁に祈る 」の主題歌の作曲を依頼しに古山家を訪れました。#朝ドラエール#窪田正孝#奥野瑛太 pic.twitter.com/1vGiktuGio
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ところが、鉄男の作詞はなかなかうまくいきません。6回作詞しても陸軍からのOKは出ず、鉄男はとうとう作詞を辞めると言い出してしまいます。
そんな鉄男を、裕一は福島に連れて行くことにします。
福島に戻った裕一と鉄男、そしてそれを聞きつけて福島に来た久志の前に、恩師である藤堂先生が現れます。裕一が、鉄男と話をしてほしいと言って藤堂先生を呼んでいたのでした。
藤堂先生は言います。
「俺のことを思って、歌詞を書いてみてくれないか?」
予備役将校だった藤堂先生は、まもなく出征することになっているのでした。
藤堂先生が出征すると聞かされた裕一と鉄男。
鉄男は藤堂先生のことを思って、もう一度作詞に挑戦することを決めました。#朝ドラエール#窪田正孝#中村蒼#森山直太朗#堀内敬子 pic.twitter.com/6jTad5k4iT
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先生のことを思って鉄男が書いた詞は、ようやくOKが出ます。福島三羽ガラスで手がけたこの曲、「暁に祈る」は大ヒット。
そして藤堂先生は、妻の昌子とまだ幼い息子の憲太を残して出征していきます。
「 #暁に祈る 」で #福島三羽ガラス がついに世に出ました。
この曲を胸に、藤堂先生は戦地へと出征していきました。#朝ドラエール#窪田正孝#中村蒼#山崎育三郎#森山直太朗 pic.twitter.com/C7bSLDu50e
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予備役将校って?
予備役将校は、普段は軍隊ではなく一般の社会で生活していて、非常事態が起こったときに軍に戻る将校のことを言います。
将校は専門の学校で教育を受けた軍人で、部隊の幹部に当たります。
藤堂先生のお父さんが軍人だった、ということが、伏線になっていたと言えそうですね。
軍人である父・晴吉とは考えが合わないこともある、藤堂先生。
昌子とお腹の赤ちゃんの存在が親子をつなぐ光です😊#朝ドラエール#森山直太朗#堀内敬子#遠藤たつお pic.twitter.com/pLWUpOxqLq— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) June 10, 2020
昭和19年、たくさんの戦時歌謡を手がけ、戦時歌謡の第一人者としての地位をゆるぎないものにしていた裕一のもとに、報國音楽協会から戦地への慰問の依頼が入ります。
この慰問は軍の作戦の一環であるため、行き先も期間も機密事項とされていました。
日本が負け続け、前線が危ないことを知っている鉄男が裕一を止めようとしますが、裕一は鉄男の言葉を聞き入れません。
音の反対も振り切り、裕一は戦地へと向かいました。出発前、福島から母のまさが倒れたという知らせが入りますが、まさを見舞うことは許されませんでした。
貴重な子ども時代の古山親子のオフショットです✨#朝ドラエール#唐沢寿明#菊池桃子#石田星空 pic.twitter.com/xhCQyeo87L
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裕一が慰問に訪れたのは、インパール作戦が展開されているビルマ(現在のミャンマー)。裕一はラングーンのホテルに滞在しながら、学校や施設への慰問をしていました。
同行していた洋画家の中井潤一は、戦地を実際に見てみたいと言って、志願して前線に行くことになります。
二か月後、変わり果てた姿で前線から戻ってきた中井は裕一に言います。
「前線は地獄です。古山さん、日本は負けます・・・。」
ある日、新聞記者の大倉憲三が、裕一にある知らせを持ってきます。それは、藤堂先生がビルマにいる、という知らせでした。
戦場にいる藤堂に、作曲した「ビルマ派遣軍の歌」を届けたいと思う裕一。でも、危険な戦場に行くことにはためらいもありました。
裕一が、自分の作った曲が戦争に加担していることに良心の呵責を感じていて、その思いを振り切るために戦場に行こうとしているのではないかと思った中井は、裕一を止めようとします。
裕一は、自分は音楽でみんなを勇気づけたいだけだと言って、戦場に行くことを決めます。
藤堂がいる駐屯地を訪れた裕一。
コンサートをしたくて楽器を持ってきた、という裕一に、演奏できる人を集めておいた、と答える藤堂。歌は藤堂が歌ってくれると言います。
コンサートを開く前日、みんなで練習をし、夜には酒を酌み交わします。翌朝、裕一は藤堂から手紙を託されます。
「俺が死んだら渡してくれ。」
そういって託された手紙の宛名は、藤堂の妻の昌子でした。
#エール【先生のうた】藤堂先生と昌子さん、夫婦揃っての再登場は嬉しい! でもこれ 藤堂先生の出征報告かも知れないんですよね。サブタイトルが「先生のうた」だから、映画「暁に祈る」の主題歌が 裕一・久志・鉄男の福島三羽烏にとって 恩師を戦地に送り出す思いを込めた一曲になりそう。 pic.twitter.com/5OXI7zW1si
— ひぞっこ (@musicapiccolino) September 18, 2020
裕一の慰問を兵士たちは喜んで、コンサートの開催を待っていました。もう一度練習をしようとしたそのとき、銃声が響きます。
いきなり始まった銃撃戦に、藤堂は裕一を車の下に押し込みます。
「ここに隠れてろ!」
裕一を隠した藤堂を、銃弾が襲います。駆け寄った裕一に、藤堂が言います。
「最後に、お前に会えてよかった・・・。」
藤堂は、妻と息子を頼むと言い残し、亡くなってしまいます。
それから間もなく、インパール作戦はやっと中止されることになります。
帰国した裕一は、福島に戻り、藤堂の手紙を昌子に届けることになります。
森山直太朗が担当するエールの副音声「半分視聴者の気分」(https://t.co/rSKzacDbtx) https://t.co/kk2rr9wEpD pic.twitter.com/gdgsbpAvij
— fukuda (@emile_happpy) July 15, 2020
インパール作戦って?
インパール作戦は、昭和19年3月から7月にかけてビルマで行われていた作戦です。
アメリカやイギリスが中国を軍事的に援助するために使っていた輸送路を遮断する目的で、当時、イギリス領インド帝国の都市だったインパールを攻略しようとしました。
ですが、過酷な自然状況や感染症、武器や食料の不足などで日本軍は多くの犠牲者を出し、「史上最悪の作戦」と呼ばれることになります。
およそ九万人の将兵が投入されたのに、戦死、病死、餓死などのため、生き残ったのは一万数千人しかいませんでした。
朝ドラ「ひよっこ」では、ヒロインみね子の叔父、宗男がインパール作戦に参加したことになっています。戦場で出会ったイギリスの兵士が自分をにっこり笑って見逃してくれたことがきっかけで、宗男はビートルズのファンになった、というエピソードがありました。
実在モデルとの違いは?
藤堂先生の実在モデルについて
藤堂先生の実在モデルとされるのは、遠藤喜美治(えんどうきみじ)先生。
裕一の実在モデルである古関裕而さんを、小学校3年生から6年生まで担任していた先生です。音楽教育に熱心で、古関さんに大きな影響を与えています。
遠藤さんは、昭和46年、80歳で他界しています。戦死ではありません。
また、年齢的に兵隊として戦争に行ったとは考えにくく、実際に出征したという情報も見つかりませんでした。
このため、ビルマでの藤堂先生のエピソードは、「エール」でのオリジナルのエピソードの可能性が高そうです。
古関裕而さんの慰問について
裕一の実在モデルの古関裕而さんは、戦争中に2回、戦地の慰問に行っています。
1度目は昭和13年の中国、2度目が昭和17年の「南方慰問団」です。「南方慰問団」では、シンガポールやビルマ、中国、マレー半島などを訪れています。
また、昭和19年には、インパール作戦特別報道班員として再びビルマを訪れています。
このときには、画家の向井潤吉さんもいっしょに派遣されています。この向井さんがエールの中井潤一のモデルになっている可能性もありそうですね。
出発前には、福島にいる古関さんのお母さんが病気になっていました。そのため古関さんは派遣の辞退を願い出ましたが、軍からの許可は出ませんでした。
最後に
いかがでしたでしょうか?
戦争でたくさんの人が亡くなっていく中、とうとう恩師の藤堂先生までが亡くなってしまうことになるとは・・・。
つらい展開になりますが、しっかり受け止めたいと思います。
戦後、裕一がこの体験からどう立ち直っていくのかも見届けたいですね。
今後の「エール」に期待しましょう!