まんぷく

安藤宏基(日清食品社長)は百福の次男!長男はどうしているの?

NHK連続テレビ小説「まんぷく」無事戦争が終わって新しい時代が始まりましたね♪

萬平は、新しい仕事をしなければ家族を食べさせていくことが出来ないということで海の目の前に住んだことから「たちばな塩業」を起業しました!起業は大変でしたがそんな家族に朗報が!福子が妊娠したのです♪

福子は予定より少し早く産気づき元気な男の子を産みました。

子供の名前で、鈴と萬平に喧嘩が勃発!鈴はご先祖様の「源義経」から取って「義経」、萬平は偉大な発明家の「平賀源内」から取って「源内」がいいと譲りません。福子は、平賀源内の「ゲン」と源義経の「ゲン」で【立花源】を提案。なんとか無事に「源」に落ち着き、丸く収まりました。

※ちなみに、「立花源」の実在モデル「安藤宏基さん」は次男です。

まんちゃん
まんちゃん
あれ?実在モデルは次男なの?長男と思っていたよ!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
どうして次男になるのか気になるね!

ということで今回は、実在モデル「安藤宏基さん」(次男)について調べるとともに、長男「安藤宏寿」の現在や二人が日清食品とどう関わっていくのかを詳しく紹介します。

安藤宏基(日清食品社長)は実は百福の次男!

安藤宏基は実は次男ってホント?

家系図を見たらわかるように百福さんは実は台湾出身で仁子さんに出会う前に、台湾で結婚。その妻の子で長男の「宏寿さん」がいました。

宏寿さんは百福さんが台湾にいたときの奥さん(呉黄梅さん)との子どもですでに戦前から、日本に引き取られ安藤家で暮らしています。仁子さんも、宏寿さんを我が子のように育てていました。日清食品の2代目社長には、宏寿さんが就任。

しかし宏寿さんが社長に就任して2年後、突然退任してしまいます。

仕方なく百福さんは、緊急登板のショートリリーフで社長に復帰。その後、次世代に会社を継がせるという方針で1985年(昭和60年)に会長職に退いて、仁子さんの実子で次男の「宏基さん」が3代目社長に就任し、新体制がスタートしました!

【安藤宏基さんの経歴】

・1972年7月 – 米国日清食品取締役
・1973年7月 – 日清食品株式会社(当時)入社
・1974年5月 – 同社取締役。6月、海外事業部長・開発部長
・1976年4月 – 同社マーケティング部長
・1979年4月 – 同社常務取締役営業本部長
・1981年6月 – 同社代表取締役専務
・1983年7月 – 同社代表取締役副社長
・1985年6月 – 同社代表取締役社長
・2007年1月 – 財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団理事長(※現職)、宇治開発興業株式会社代表取締役社長(※現職)
・2007年2月 – 世界ラーメン協会会長(※現職)
・2007年3月 – 特定非営利活動法人国際連合世界食糧計画WFP協会顧問(※現職)
・2007年 – 日本宣伝賞松下賞受賞
・2008年10月 – 日清食品ホールディングス株式会社代表取締役社長(CEO)(※現職)

価値を高めた日本円が投資ブームを巻き起こし、バブルの狂乱が始まります。輸出業は「これから厳しい時代がやってくる」と70年代に起こったドルショックの再来を警戒し気を引き締めていました。日清食品は海外に多くの拠点を有しているだけに、百福さんは気にしていました。

この時、百福さんは75歳。残された時間も少なくなっている。自分が作った会社を未来に継ぐ人材を早く育てねばと、社長の宏基さんへのアドバイスや苦言も多くなりました。

まんちゃん
まんちゃん
次世代にという、百福さんの考えからだったんだね♪
ぷくちゃん
ぷくちゃん
次男というのも分かってスッキリ(笑)

次男安藤宏基のプロフィール

名前:安藤宏基(あんどうこうき)

誕生日:1947年10月7日

出身地:大阪府池田市

所属:日清食品ホールディングス株式会社代表取締役社長

宏基さんは、長男・宏寿さんという異母兄がいるので次男という扱いになるんですね!
そんな次男・宏基さんは百福さんの次世代に会社を継がせるという方針に沿って、たくさんの段階を踏んでいました!

自分が作った会社を継ぐ人材を育てようという百福さんの、日清食品に対する「愛」も感じますよね♪

百福とのエピソードが面白い!

会社が大きくなれば、それに見合った組織につくり変えなければならない。また、いつまでもチキンラーメンやカップヌードルの成功の上にアグラをかいているわけにはいかない。
百福さんの発明を超えるような画期的な製品を世に生み出さなければ、企業は衰退が始まるだろうと考えた宏基さんは「カップヌードルをぶっつぶせ!」のスローガンを掲げました。

宏基さんは、百福さんをないがしろにしたり、軽んじるつもりはなかったのですが「ぶっつぶせ!とは何事か」と社長就任早々から、百福さんの逆鱗に触れてしまいました。
会社だけではなく、自宅に呼び出され説教されることも・・・。

最初は百福さんの怒りに任せて一方的にまくしたてます。まずは溜め込んだストレスのガス抜き作業と、宏基さんは黙って聞くのですが1時間も2時間も続くと・・・聞き捨てならないと反論してしまい大きな親子ゲンカが始まってしまいます。
長引く親子ゲンカの最中、仁子さんは黙って二人のそばにいるのですが、あまりにも長くなったりヒートアップしすぎると「もう、いい加減にしなさい!」と一人さっさと寝ていまいます(笑)

その後はヒートアップした二人は、冷水を浴びせられ冷静に戻りました。このタイミングを見計らった仁子さんの行動は、関白亭主やその息子と長年付き合っていて、扱い方も熟知したからこそ出来たのです。

<意外に思われるかもしれないが、創業者は後継者の私をライバルと思っていたフシがある>

「カップラーメンをぶっつぶせ!」の中にはこのような記述があります。
跡継ぎの成長や自立は喜ばしいこと。しかし、これで助言や苦言も必要なくなる。自分という人間を「必要としなくなるということか?」そう考えると寂しくもなる。
息子の成長を認めることは、自分の老いも認めなければならないということ。親離れと同時に子離れするほうも苦痛や我慢を強いられるもの。息子の成長を認めながらも、それに背を向けて「お前は、まだまだ子どもだ」と自分の存在を誇示する父親。

どこの家庭でもよくありそうな感じですね!

「創業者には定年がない」という言葉にも、百福さんの老いに対する強い拒絶感が見てとれます。いずれ自分が必要とされなくなるという寂しさ、老いへの抵抗感。それが息子に対するライバル心の根底にあるようです。

また、宏基さんは同書のなかで百福さんを「父」「会長」でなく「創業者」と記すことが多いです。ライバルである3代目社長の息子をやり込めるには、これが伝統の宝刀。自尊心の源でもあります。

長い間一つ屋根の下で暮らした父子なだけに、宏基さんも百福さんの性格はよく理解しています。関白亭主の操縦に長けた母親の仁子さんにも助言を仰ぎ、様々なケースでの対処法を聞いていたのかもしれません。

まんちゃん
まんちゃん
百福さんと宏基さんは似ているのかもね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
強い意志同士がぶつかるからこそ、言い合いになるんだろうね!

百福さんと、宏基さんの強い意志がさらに、ひしひしと伝わってきました!でも・・・いつもとばっちりを受けている仁子さんが、一番大変な思いをしていたのかもしれませんね(笑)

長男は現在どうしているの?

長男である「安藤宏寿さん」は今現在何をしているのでしょうか?気になったので調べてみました!

長男の生誕について

百福さんは、台湾にいるときに台湾人の呉黄梅と結婚をし、1931年(昭和5年)11月24日に長男になる安藤宏寿さんを出産が誕生しました。

その後、百福さんは仁子さんと結婚します。

※その時に問題になったのが台湾に残してきた妻子。台湾では昭和5年(1930年)に一夫多妻制は廃止したものの戸籍上の「妾」は認められていました。そのため百福さんは正妻はまだ不在ということで日本での仁子さんとの結婚が認められ、「安藤百福」になりました。

仁子さんは結婚をする時、母・須磨さんを一人置いていくわけにはいきませんでした。そこで仁子さんは母を、百福さんは息子・宏寿さんをそれぞれ引き取ります。なので、新婚ですが家族は4人になります!仁子さんも、宏寿さんを我が子として育てていました。

※この時、百福さんは
①私が仕事をする
②家庭は任せる
③食べるものには苦労させない
と約束をしました。

新居は大阪郊外の静かな住宅地、吹田市千里山です。ところが日に日に空襲が激しくなり、百福さん・仁子さん・須磨さんは兵庫県上郡に疎開しました。長男の宏寿さんは別の知人に預けられ、安全な疎開地へと移っています。

百福さんは多くの自伝を残していますが、家族に関する記述は少ないんです。特に宏寿さんに関してはほとんど書かれていないため、詳しくは分かりませんでした。

まんちゃん
まんちゃん
結婚するのも、色々な問題があったんだね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
宏寿さんの情報をほとんど書かなかったのにも理由があるのかな・・・?

社長に就任!

1980年(昭和55年)日清食品は、売上げ1千億円を突破して業界内で盤石の地位を築いていました。翌年の1981年(昭和56年)には、安泰なうちに次期政権へ継承させたいと百福さんは社長を引退します。社長には、長男の「宏寿さん」が就任しました。

【宏寿さんの経歴】
・1958年12月 日清食品代表取締役専務
・1976年6月 日清食品代表取締役副社長
・1981年6月 日清食品代表取締役社長

社長を退いた百福さんは、会長に就任!しかし、自分が元気なうちに後進を育てておかなければという思いから百福さんは、毎日出社し続けます。

引退しても会社の経営にあれこれ口を出す父にイラ立ち、宏寿さんは2年後に社長を退任してしまいます。

誰もが驚く退任劇だったと言いますが、その経緯について百福さんは何も語りませんでした。宏寿さんが退任後は百福さんが社長に復帰しました。

まんちゃん
まんちゃん
あれこれ口を出されるのは、確かに嫌かも。
ぷくちゃん
ぷくちゃん
でも2年で辞めちゃうなんて・・・しかも突然!

現在はどうしてるの?

元日清食品2代目社長の長男・宏寿さんは、2007年6月26日に膵臓がんのため76歳で亡くなられていました。

まんちゃん
まんちゃん
もし現在も生きていたら、87歳だね!
ぷくちゃん
ぷくちゃん
百福さん、寂しかっただろうなぁ。

長男の宏寿さんについて調べてみましたが、ハッキリとした情報が得られませんでした・・・。余計に、どんな人物だったのかすごく気になります(笑)

宏寿さんは2代目社長に就任しましたが、百福さんの口出しに絶えることが出来ず、2年で退任していましたね。次男の宏基さんは、言い争うくらいでした(笑)この事から、二人の性格の違いは何となく分かる気がします!

最後に・・・

百福さんが家族についてあまり語っておらず、不明な点も多かったんですが・・・
日清食品に対する思い、受け継いだ宏基さんの思いを知ることはできました!

それぞれ「日清食品」という会社を続けていくためにどうすべきか考えるあまり、言い争っていました。その言い争いと仁子さんのサポートがあったからこそ、今も日清食品の製品は愛され続けてるんでしょうね!

まんぷくでは第13週に長女「立花幸(さち)ちゃん」が生まれる予定です!実在モデルの「安藤明美さん」も日清食品に関わっているのか、気になりますが・・・

まんぷくでの、「源」と「幸」がどう成長していくのか楽しみです♪